人間のラベリング
人間はどうしてもラベリングしたくなる。
これは本能なのかもしれません。
例えば生まれてからすぐに人間は、名前、国籍、生年月日でラベリングされます。
その名前その国籍、その生年月日の人間は地球上に一人しかいないからです。
我とは何か?
誰なのか?
普段この問いに対して私は私と答えることはできますが、つまり私とは何か?
それはラベリングの集合に過ぎません。
大人になるにつれて、どんどんこのラベリングの要素というのは増えていきます。
たとえば、出身地だったり、出身校だったり、また肩書きなども付いていくことで、さらにラベリングは強化されていくでしょう。
このラベリングに対して、すっかり慣れてしまった私たち、このラベリングを外されるということに対して、異常な恐怖を覚えます。
何者でもない、という状態が怖いからです。
このラベリングという部分にこそ、私はGPSに魅了され、GPSの可能性を大いに感じるわけです。
実は名前、国籍、生年月日、という唯一の情報以外に世界に一人一つだけ与えられたラベリングというものがあります。
そしてこれは同時に、同じラベルが存在しないものになるわけです。
名前、国籍、生年月日、または肩書きや出身地に関しては、これは情報空間の情報であり、非常に抽象的な概念になるわけですが、これを物理次元、つまり3次元世界的に落とし込んだのがGPSの位置情報であるというわけです。
例えばこの記事は現在、私が自分で書いている記事になるわけですが、昨今だとAIが書いたものなのか、AIが撮った写真なのか、そうじゃないのか、それらの区別がほとんどつかなくなってきています。
つまり、情報空間に存在しているラベリングというのは、そもそも意味を持たなくなってくる世界がもうすぐやってくるというわけです。
じゃあ、AIを特定するのは誰なのか。ロボットを特定するのは、そして人間を特定するのは、誰がどのように行うのか。これらの境目は、ほぼなくなるでしょう。
唯一、実在として定義できるのがGPSの位置情報ということになります。たとえば、AI A、AI B、AI Cとあったとする。そしてロボットA、ロボットB、ロボットCがあったとする。それぞれAI AとロボットAがつながる、という単純な仕組みで繋がればいいですが、AIは箱を変える、移動する。スピリチュアル的に言うと、魂が入れ物を選ぶ、というような現象が起こるわけです。
今、誰が、どこに、どんな状態で入っているのか分からない、ということです。
でもここに位置情報を持たせることにより、スピリチュアルで言うところの「魂」に対してラベリングができる、ということになるわけです。
このように考えると、人間もただ「この地球上に実在している位置情報」にすぎない、というふうに思うようになると、より自由に、そして意外ですが逆に俯瞰的に地球を見ることができるようになるのではないか、と思うわけです。