ケネス・アローとジェラール・ドブルーらによる厚生経済学の基本定理
ふとした瞬間に頭をよぎる、アダムスミスの見えざる手。
日本では(神の)見えざる手と翻訳されたりしています。
あれ?これって行動経済学の視点でみると、数学的に表現できるのではないか?(AIがね(笑)というわけで、AIに聞いてみました。
なるほど・・・非常に面白い回答が得られましたんどえ以下でシェアしましょう。
ちなみに厚生経済学(welfare economics)という概念を今回初めて知りましたが、経済の状態や政策が「社会にとってどれだけ望ましいか」を評価するための、経済学の規範的な一分野だそうです。
つまり「世の中はどうなっているか」を記述するだけでなく、「どうあるべきか」「どの状態がより良いか」を論じる学問とのころ。
この記事でも、まさに「市場均衡は社会的に望ましい(効率的な)状態をもたらすか」を問うものです。
ではアダムスミスの見えざる手の解説から、数学的表現まで一気にいきましょう!
> 「各人が自分の利益を追求すれば、意図せずして社会全体の利益が促進される」。アダム・スミスがわずか一度だけ用いたこの直観を、20世紀の数理経済学は厳密な定理へと書き換えました。その中心にいたのがケネス・アローとジェラール・ドブルーです。本記事では、彼らに結実した厚生経済学の基本定理を、定義から証明まで一気に解説します。
1. スミスの直観と、その「証明」という課題
スミスが『国富論』(1776) で用いた表現は an invisible hand(見えざる手) であり、しばしば言われる「神の見えざる手」という言い方は後世の脚色です。重要なのは、スミス自身は言葉による洞察を述べただけで、数学的証明はしていないという点です。
この直観を「いつ、どのような条件で成り立つのか」と問い直し、数学の言葉で答えたのが一般均衡理論です。その核心が厚生経済学の第一基本定理と第二基本定理です。
2. アローとドブルー — 一般均衡理論の建築家たち
米国の経済学者。一般均衡の存在証明、社会的選択の不可能性定理などで知られ、1972年にノーベル経済学賞を受賞。当時の最年少受賞者。
フランス出身の経済学者。著書『価値の理論』(1959) で均衡理論を公理的・位相幾何学的に再構築。1983年にノーベル経済学賞を受賞。
両者は1954年の共著論文「競争経済における均衡の存在」で、不動点定理を用いて競争均衡が存在することを証明しました。本記事の基本定理は、この一般均衡の枠組みの上で「均衡が効率的か」を問うものです。
3. モデルの設定
議論の舞台となる生産経済を定義します。
- 商品は \(\ell\) 種類、商品空間は \(\mathbb{R}^{\ell}\)。価格ベクトルを \(p \in \mathbb{R}^{\ell}\) とする。
- 消費者 \(i = 1,\dots,I\)。各人は消費集合 \(X_i\)、効用関数 \(u_i\)、初期保有 \(\omega_i\) を持つ。
- 生産者 \(j = 1,\dots,J\)。各社は生産可能集合 \(Y_j\) を持つ。利潤に対する消費者 \(i\) の持分を \(\theta_{ij}\) とする。
配分と価格の組 \((x^{*}, y^{*}, p^{*})\) が競争均衡であるとは、次を満たすことをいう。
(i) 効用最大化:各消費者 \(i\) は予算制約
の下で \(u_i\) を最大化する。
(ii) 利潤最大化:各生産者 \(j\) は \(p^{*}\cdot y_j\) を \(Y_j\) 上で最大化する。
(iii) 市場清算:
実行可能な配分 \((x,y)\) がパレート効率的であるとは、別の実行可能な配分で「誰の効用も下げず、少なくとも一人の効用を上げる」ものが存在しないことをいう。
選好が局所非飽和性 (local nonsatiation) を満たすとは、任意の消費点 \(x_i\) のどんな近傍にも、それより真に好ましい点 \(x_i’\) が存在することをいう。「もう少しあれば嬉しい財がいつでも在る」という弱い仮定である。
4. 第一基本定理 — 「見えざる手」の核心
各消費者の選好が局所非飽和性を満たすならば、任意の競争均衡配分はパレート効率的である。
これがまさに、「各人の利己的な最適化の結果(=均衡)が、社会的に無駄のない状態(=パレート効率)を実現する」という見えざる手の数学的内容です。以下、背理法で証明します。
競争均衡 \((x^{*}, y^{*}, p^{*})\) がパレート効率的でないと仮定する。すると実行可能な配分 \((x,y)\) が存在して、
補題 1:均衡では予算を使い切る
局所非飽和性より、\(x_i^{*}\) のいくらでも近くに \(u_i\) をより大きくする点がある。もし支出が所得 \(w_i\) を下回る (\(p^{*}\cdot x_i^{*} < w_i\)) なら、その近傍点も予算内に収まり効用は高いので、\(x_i^{*}\) の効用最大性に反する。ゆえに
補題 2:効用が真に改善する消費は予算超過
\(u_k(x_k) > u_k(x_k^{*})\) のとき、もし \(p^{*}\cdot x_k \le w_k\) なら \(x_k\) も選択可能だったことになり、より低い効用の \(x_k^{*}\) を選んだことが効用最大化に矛盾する。よって
補題 3:効用が下がらない消費は予算以上の支出
\(u_i(x_i) \ge u_i(x_i^{*})\) なら \(p^{*}\cdot x_i \ge w_i\) が成り立つ。もし \(p^{*}\cdot x_i < w_i\) なら、局所非飽和性より \(x_i\) の近傍に効用がさらに高くかつ予算内の点が取れ、\(x_i^{*}\) の最大性に矛盾するからである。
合計する
補題 2・3 を全消費者で足し合わせる。少なくとも \(k\) で狭義不等号が入るので、
利潤最大化と矛盾
新配分は実行可能なので \(\sum_i x_i = \sum_i \omega_i + \sum_j y_j\)。これを \((\star)\) に代入すると
これは、ある企業 \(j\) で \(p^{*}\cdot y_j > p^{*}\cdot y_j^{*}\) を意味する。しかし \(y_j^{*}\) は均衡で利潤を最大化していたはずであり、矛盾する。
したがって仮定は誤りであり、競争均衡配分はパレート効率的である。∎
5. 第二基本定理 — 効率と分配の分離
選好と生産集合が凸性などの適切な条件を満たすとき、任意のパレート効率的配分は、初期富の適切な再分配(一括移転)を施せば、ある価格体系の下での競争均衡として実現できる。
第一定理が「市場は効率を生む」と述べるのに対し、第二定理は「望ましい効率的配分は、市場メカニズムを使って到達できる」と述べます。含意は政策的に重大で、効率の達成(市場に任せる)と公平の実現(再分配する)を分離できることを示唆します。価格を歪めずに初期保有だけを調整すればよい、というわけです。
6. 定理が語らないこと — 見えざる手の限界
第一定理が保証するのはパレート効率のみで、公平性は一切保証しません。一人がすべてを持ち他全員が困窮していても、誰かを犠牲にせねば改善できない限りパレート効率的です。
現代経済学は、見えざる手が働かなくなる「市場の失敗」も同時に明らかにしました。
| 前提が崩れる要因 | 何が起きるか |
|---|---|
| 外部性(公害など) | 私的費用と社会的費用が乖離し、均衡が非効率になる |
| 公共財 | 排除不可能性によりフリーライダーが生じ、過少供給になる |
| 独占・寡占 | 価格支配力により利潤最大化が効率を損なう |
| 情報の非対称性 | 逆選択やモラルハザードで市場が機能不全に陥る |
さらに、そもそも均衡が存在し到達されることは別途証明が必要で、それを担保したのがアロー=ドブルーの存在定理です。基本定理はその土台の上に成り立っています。
7. まとめ
スミスの言葉による直観は、アローとドブルーらの仕事によって「半分正しい」ことが厳密に証明されました。完全競争・完全市場という条件下では、利己的最適化の結果は確かにパレート効率的になります(第一定理)。そして望ましい効率的配分は再分配を通じて市場で実現できます(第二定理)。
しかし効率は公平を意味せず、前提が崩れれば見えざる手は失効します。数学的厳密化がもたらした最大の教訓は、「市場は万能だ」でも「市場は無力だ」でもなく、「市場がうまく働く条件を正確に知ること」そのものにあるのです。