こんにちは。
Curanz Sounds代表の朝比奈幸太郎です。
当サイトでは、フィロソフィー研究の一環として宗教学の知識をアーカイブしています。
本日の哲学コラムはイエスについて。
キリスト教の歴史に関してはこちらのカテゴリーにてご覧ください。
十字架を受け入れた理由
今回はコラム記事ですので、完全なスピリチュアル的な視点であり、想像の範囲を超えるものも裏付けるものも何もありません。
その辺りを承知の上でまさにコラム的に読んでいただければと思います。
このコラムではイエスが宇宙からやってきた存在であり、神とつながる高次元の存在であることをスピリチュアル的に前提として進めています。
パウロのマーケティングでは、イエスが十字架の刑を受け入れた理由として、アダムとイブが神の指示に従わなかった原罪を自らが進んで受け入れたというものがあります。
キリスト教を長く組織していくためにはこのストーリーの方がブレが少ないことでしょう。
今から2000年前に宇宙の話をしたところで誰も理解できないからです。
イエスとソクラテス
イエスは最後の晩餐で裏切り者がいると示唆しているように、逃げるチャンスは当然めっちゃあったのは容易に想像できます。
これは、1970年に発見されたユダの福音書によって近年は解釈がわかれつつありますので、こちらの記事も是非参照してください。
ではイエス同様に逃げるチャンスがあったのに処刑を受け入れた哲学者といえば・・・
そうです。
ソクラテスでした。
ソクラテスも警備兵が逃げられるように整えていましたし、多くの支持者がいた中で「いや、大丈夫、毒を飲むよ」と飲んだわけですね。
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高次の存在が帰る理由
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イエスは弟子たちに天上界、天国という名前で高次の世界のことを明かしていました。
イエスや釈迦、シュタイナーやソクラテスなどと悟りの開きが強い高次元の存在は、天国という名前の場所でもやることがあるという理解が一つできるかと思います。
しかし、これはアセンションと呼ばれる次元のエレベーターとは違うわけです。
例えばラムサという存在はアセンションした存在であると明かされていますが、意識だけでこの三次元の世界に自由に行き来するタイプと、肉体を実際に持って生まれるタイプと分かれるわけです。
神智学者のシュタイナーはこのことを「受肉」という言葉で表現しています。
肉体があると非常に不自由ですが、受肉しないと伝わらない高次元の叡智というのはあるわけで、それらを伝えるためにイエスや釈迦、ソクラテスやおそらくシュタイナーもでしょうが、受肉したと考えると自然です。
受肉から解放される方法
これはすごくシンプルですよね。
死です。
肉体の機能が停止すればあとは魂、意識の世界のみになります。
ただし高次元の世界のルール上、自死は認められていません。
自死というのは非常に低周波の波動を身体から発することになり、魂が低い振動のまま意識体として存在することになるため、天上界の周波数と同期することができなくなってしまうんです。
そのため、洗礼を受けた後に旅をするイエスに悪魔がささやいた、「そこから飛び降りてみろ」という言葉は、イエスは受け入れることができなかったというわけです。
もちろん理由としては「神を試すようなことはするべきではない」というものでした。
自死があるのであれば、寿命を全うするか、誰かに実行してもらうしか方法はありませんよね。
しかし、誰かに実行してもらうということは、少々難しいわけであります。
仮にあなたがイエスなら、弟子の誰かに「わたしをあやめなさい」と言えるでしょうか?
できる弟子はいないでしょうし、仮にできたとしてもその弟子のその後の運命、人生は誰もが想像できることでしょう。
そうすると残るは事故や処刑という社会システムのみということになります。
あなたがもし高次の存在(もちろん宇宙人でもかまいません)であり、天上界または天国から「ちょっと用事があるから戻ってきて!」と言われたらどうするか?
そうです、受肉からの解放方法を探すことでしょう。
ソクラテスもイエスも、タイミングを探っていたわけであり、そうなると仮にユダの福音書が本物だとして、ユダに「私を引き渡せ」とイエスが指示を出した理由もすごくよく理解できます。