裏切り者の代名詞とも言えるユダ。
1947年に死海文書が発見されてからというもの、エッセネ派の存在や、イエスの歴史、初期キリストの歴史などがたくさん解明されてきました。
2001年からようやく解読が始まったチャコス写本も初期のキリストに関わる重要な資料として注目を集めています。
チャコス写本とは
ナショナル ジオグラフィック協会が支援しながらの解読プロジェクトとなります。
ウェイト歴史的発見研究所、マエケナス古美術財団とともに写本の鑑定及び、全66ページの修復・翻訳プロジェクトを支援。
写本の断片をつなぎ合わせ、コプト語を読み取って英語に翻訳する作業は、コプト語の世界的権威であるスイスのロドルフ・カッセル博士をリーダーとする専門家の国際チームが行いました。
状態も悪かったチャコス写本ですが、2006年4月6日付でこれら米国の専門家チームが公開しました。
ここにはユダの福音書が記されているということで、初期キリスト教の新しい姿が垣間見える貴重な資料となっています。
「この写本は、放射性炭素年代測定法、インクの成分分析、マルチスペクトル画像の解析、文章構造の分析、古文書学的な検証という五つの異なる角度から、古代に記された本物の聖書外典であることが確認されました。過去60年間で最も重要な古代の聖書外典の発見とも言われるこの文書は、キリスト教黎明期の歴史と宗教思想を知る重要な手がかりであり、歴史家や神学者をはじめとする専門家が今後も引き続き研究していくべき第一級の史料です。この作業には、長い時間がかかるでしょう。専門家同士の対話は、まだ始まったばかりです」
ナショナルジオグラフィック:テリー・ガルシア副理事長(支援プログラム担当)
「この重要な発見と調査は、世界の文化と歴史に対する人類の理解を深めるものであり、それを支援することは当研究所にふさわしい使命です。この歴史的文書に光を当てるプロジェクトに貢献できたことを、たいへん誇りに思います」
ウェイト歴史的発見研究所:創設者テッド・ウェイト
発見から鑑定までの流れ
コプト語の写本は、紀元300年ごろに書かれたとみられます。
(※アリゾナ加速器質量分析研究所(米国アリゾナ州)で分析した結果、この写本の推定年代は紀元220~340年と判明。)
1970年代にエジプトのミニヤー県付近の砂漠で発見されました。
ヨーロッパを経由して米国に持ち込まれた後、ニューヨーク州ロングアイランドにある銃警備の貸金庫で16年間眠り続けていたということです。
2000年になると、スイス・チューリッヒの古美術商フリーダ・ヌスバーガー=チャコスがこれを買い取り、チャコス写本となったわけです。
チャコス氏は元々投資目的での購入だったそうですが、買い手が身使わないまま文書の劣化が進むのを案じたチャコスが、2001年2月に写本をスイス・バーゼルのマエケナス古美術財団に寄託。
その後写本そのものはエジプトに運ばれ、カイロのコプト博物館に収蔵されるとのことです。
写本の内容を分析すると、宗教的概念や言語学的特徴がナグ・ハマディ文書にそっくりだと専門家は指摘しています。
ユダの福音書の中身
修復されたユダの福音書最初のページ〜引用:Wikipedia
チャコス写本の中にユダの福音書は全部で26ページあったそうです。
つなぎ合わせた断片の片面の文字が一致しても、裏側の文字がつながらなければ「正解」の組み合わせにはなりません。「10ページほどの書類を細かくちぎり、そのうち半分を捨てて、残りの半分だけで文書を復元する作業を想像してみてください。この作業がどれほど困難だったか、少しはわかっていただけるでしょう」と、カッセル博士は言います。
ナショナルジオグラフィック協会
イエスの死後に正式に組織されたキリスト教、そして完成までに325年かかった新約聖書ですが、当然、信者にとって都合のいい内容しか書かれていません。
ユダは裏切り者そして、悪魔として描かれており、ユダの真実についてアクセスする術はこれまで存在しませんでした。
『ユダの福音書』は、イエス・キリストを裏切ったとされるユダの「新しい視点」を示してくれます。
ユダ自身が書いた福音書では、自身がイエスをローマの官憲に引き渡したのは、イエス自身の指示に従ったというものです。
イエスの人物像
26ページあるユダの福音書の80%が現在解読されているそうです。
その中をみていくと、イエスの人物像や、その時代の様子が手にとるようにわかります。
「過越(すぎこし)の祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」。
福音書の初めの部分では、イエスは「お前たち(弟子たち)の神」に祈りを捧げる弟子たちを笑います。
この神とは、世界を創造した旧約聖書の劣った神のことを指しています。
一般的に解釈するとすればヤハウェ(エロヒム)のことでしょうか。
ここから重要な部分になります。
イエスはユダに次のように語ります。
「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」。
チャコス写本よりユダの福音書
つまり、ユダはイエスから物質である肉体を取り除いたあと、神の本質を解放する、できるというわけです。
十二使徒の中でのユダの地位
この福音書の中には、ユダが十二使徒の中、他の弟子たちの中でもかなり特別な存在であり、特別な地位を与えられていたことを示す記述があります。
たとえば、イエスは次のように語っています。
「他の者たちから離れなさい。そうすれば、お前に(神の)王国の神秘を語って聞かせよう。
チャコス写本よりユダの福音書
その王国に至ることは可能だが、お前は大いに悲しむことになるだろう」。
また、次のような記述もあります。
「聞きなさい、お前には(この世界の真理の)すべてを話し終えた。
チャコス写本よりユダの福音書
目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。
皆を導くあの星が、お前の星だ」
さらに弟子たちからは嫌われていく運命にあることもイエスから示唆されています。
「お前はこの世代の他の者たちの非難の的となるだろう――そして彼らの上に君臨するだろう」
チャコス写本よりユダの福音書
「ユダは目を上げ、光輝く雲を見て、その中に入っていった」。
ユダ自身は霊的な覚醒をかんじていたのかもしれません。
実はこのユダの福音書は、突然終わります。
「彼ら(イエスを捕らえにきた人々)はユダに近づき、『ここで何をしているのだ。イエスの弟子よ』と声をかけた。
チャコス写本よりユダの福音書
ユダは彼らが望むとおりのことを答え、いくらかの金を受け取ると、イエスを引き渡した」。
イエスが十字架にかけられることも、復活することも、この福音書には何も書かれていません。
イエスが実際に指示していたとすれば、「ここで何をしているのだイエスの弟子よ」というフレーズは、ユダがファリサイ派のユダヤ人に自ら近づいていったことを示唆しているのかもしれません。
イエスが祈る弟子たちを笑う
この場面では、他の弟子たちが敬虔に祈っている中で、イエスは彼らの祈りの行為を笑いながら観察するとしています。
以下は、この場面の概要です。
- 弟子たちの祈り: 弟子たちは一心に祈り、神への信仰を示そうとします。
- イエスの反応: イエスは彼らの祈りを見て笑います。イエスは、彼らが真の理解を持たず、表面的な儀式に過ぎない祈りをしていると考えています。
- ユダとの対話: この場面の後、イエスはユダに対して、他の弟子たちが物質的な世界に囚われているのに対し、ユダは霊的な真実を理解していると語ります。
このシーンは、「ユダの福音書」が他の福音書と異なり、グノーシス主義の教えに基づいていることを強調しています。
グノーシス主義では、物質的な世界よりも霊的な知識と悟りを重視します。
イエス自体はユダヤ教の儀式に対して、儀式に意味はないと言っているのもあり、形式ばった儀式そのものに意味はないことはこれ以前にも発言していることになります。
となると、やはり儀式を重んじるカトリックとは・・・という疑問も生まれてきますよね。
解明に向けて
「これまで未発見だった福音書の文書が世に出ることはめったにありません。特に初期キリスト教の文献で言及されている文書の発見は、きわめて珍しいことです。『ユダの福音書』は、キリスト教の発展の道筋を知る重要な史料であり、初期キリスト教の豊かな多様性に改めて光を当てるものです」
米国チャップマン大学のマービン・マイヤー
「『ユダの福音書』は、キリスト教徒の中にイエスと弟子たちに対する多様な見方があったことを示す、重要な2 世紀の証言です。この発見によって、新約聖書に収められた正典福音書の内容に対する理解がさらに進む可能性もあります」
カナダ・アカディア大学神学大学院のクレイグ・エバンズ教授
現在も修復作業は進められているとのことです。
一応メモとして、目次をシェアしておきます。
福音書の目次と今後の展開
「過ぎ越し祭をする三日前、八日間にイエスがイスカリオテのユダと語った、裁きの秘められた言葉。」(メインタイトル)
- 第一章 イエスの宣教と十二弟子の召命[枠物語] 第二章 弟子たちの無知とユダのより高度な知識
- 第三章 上なる世代の告知
- 第四章 弟子たちの見た幻(幻の報告①)
- 第五章 幻の説明とそれに続くやりとり(幻の報告②)
- 第六章 上なる世代に関するやりとり
- 第七章 ユダの見た幻
- 第八章 ユダの幻の説明とそれに続くやりとり
- 第九章 世界と人間との生成についての神話(世界の起源についての神話)
- 第10章 やりとりの続き――人間とその運命とについて(論考①人間論)
- 第11章 やりとりの続き――世界の運命について(論考②終末論)
- 第12章 ユダの役割――預定と賛美(クライマックス)
- 第13章 イエスに対する陰謀[枠物語]
- 「ユダの福音書」(末尾のタイトル)
真実の考察
この写本そのものが描かれたのが、推定年代は紀元220~340年ですから、ユダ本人が書いたものでないことは明らかであります。
問題はユダ本人が書いた福音書を写本したものなのかどうか?というところにあるかと思います。
もちろんこれは他のキリスト教系の福音書も同様で本人が書いたものなのか、あるいはパウロがほとんど書いたのか、はたまた300年かけていろんな人が書いたのかは定かではないわけです。
ユダが書いたことに見せかけることは、確かに難易度は高いですが、不可能ではないと言えます。
今から300年ほど前だと仮定すると、私たちでいうところの、徳川吉宗の時代です。
徳川吉宗が書いたかのように装って文書を作成する。。。
と考えると難易度は確かに高いですね。
ただし、事実として、数々の奇跡を起こせるイエスが、十字架を受け入れることはキリスト教徒の解釈としても難解なものであったこと、そして、使徒パウロのストーリーである、「私たちが背負う原罪をイエスが代わりに受けてくれた」というのも、かなり強引な感じもします。
このサイトでも何度も登場させていますが、鍵泥棒のメソッド説、つまりイエスが描いた物語として、ユダとしっかり計画を立てていた。
ユダは最後自分で人生を終えたことになっていますが、さて、あまりにもシンプルで見破ることが不可能に近いストーリーではありませんか?
とはいえ、鵜呑みにするのは危険です。
それはどんな情報であってもです。
情報をそれぞれピースとして、自分自身でしっかりと考えること。
それが宗教学であり、フィロソフィーにつながるというわけであります。