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家庭菜園のためのIPM実践ガイド〜オランダの今

2026-05-21 | 家庭菜園

これから先の時代、人間は何をするのか?

おそらく何もすることがなくなるでしょう。
家庭菜園でもして食べ物をコーディネートするくらいのものでしょうか。

こういう言い方をすると、なんだか味気ない言い方ではありますが、それでも人生というこの世界の仕組みを大いに楽しむという視点において家庭菜園はうってつけ!なのであります。

今日は、総合的病害虫防除について。
英語ではIntegrated Pest Management、略してIPMという考え方があります。
日本語では「総合的病害虫管理」「総合的病害虫防除」と訳され、しばしば「農薬を減らす取り組み」として紹介されてきました。

この記事では、家庭菜園に使える具体的なアイディアや知識をアーカイブしていきます。

前半では農業大国と言われるオランダの最新設備の様子、また具体的なIPMを家庭菜園レベルで取り入れるコンパニオンプランツなどの情報をお届け。

後半では、FAOとEUによるIPMの定義、2025年時点でのIPMバンドルの内容、オランダWageningen University & ResearchとドイツJulius Kühn-Institutが体現する二つの実装モデル、そして2024年に起きたEU農薬削減規則の撤回という政治的逆風までを通して、現代IPMの輪郭を描きます。

オランダの今

オランダの先端温室、特にWestland地域やVenlo地域に集中するパプリカ・トマト・キュウリの大規模ガラス温室は、技術的には次のような構成になっています。

外気を完全に遮断したガラスハウス(最近はdiffuse glassと呼ばれる光を散乱させる特殊ガラスが主流)の中で、補光用LEDをトップライトおよび株間に配置し、PPFD(光合成有効光量子束密度)と日積算光量DLIをセンサーで連続計測しながら制御します。

CO2は燃焼や工業排ガス回収由来のものを600〜1000ppmまで濃縮供給し、光合成速度を最大化します。

温度・湿度・VPD(飽差)はクライメイトコンピューターが24時間管理し、養液は土を使わないロックウールやココピート培地に点滴灌水で供給します。

EC(電気伝導度)とpHを連続モニタリングし、回収した排液を殺菌してリサイクルする閉鎖系養液システムが標準です。

この完全制御環境の中に、スワルスキーカブリダニ、ククメリスカブリダニ、タバコカスミカメ、各種寄生蜂、捕食性カメムシなどを「standing army(常駐天敵)」として先回りで定着させます。

代替餌、バンカー植物の作物間配置、開花植物による蜜源確保で、害虫がいない時期にも天敵が生き延びる環境を作り込みます。

受粉はマルハナバチが担います。

これが現代オランダ温室の標準的な姿で、トマトの単収は年間75〜100kg/m²に達します。
日本の標準的なトマト施設栽培の3〜5倍の単収です。

理屈の上で、この方式は確かに極めて強力です。
理由はいくつかあります。

まず、害虫の外部からの侵入を物理的に大幅に減らせます。
完全に防げるわけではありませんが、密閉度が高いほど侵入圧は下がり、天敵に求められる仕事量も減ります。

次に、環境を均一かつ最適に保てるため、作物が常に健全な生理状態にあり、害虫・病害に対する作物自身の抵抗性が高くなります。
これはBLOF理論的な「健全な作物は病害虫に強い」という命題とも整合します。

そして、天敵にとっても安定した気温・湿度環境が確保されるため、定着率と捕食活性が露地より格段に高くなります。
露地では雨や強風、急激な温度変化が天敵を流亡させますが、温室ではそれが起きません。

さらに、すべてのパラメータ(光量、CO2、温度、湿度、養液EC、天敵密度、害虫密度)がデータとして取得・解析可能で、PDCAサイクルを回せます。
近年は機械学習による収量予測や病害早期検知も実用化が進んでいます。

ここで重要なのは、「完全制御+天敵」が常にベストとは言い切れない条件もあるという点です。

第一にエネルギー消費の問題です。
オランダ型温室は冬季の暖房、夏季の冷却、補光LED、CO2供給に膨大なエネルギーを使います。
歴史的にはオランダの天然ガス資源と地熱インフラがこれを支えてきましたが、2022年のロシア・ウクライナ情勢以降のガス価格高騰で、オランダ温室業界は深刻な経営危機を経験しました。

現在は地熱・廃熱利用・ヒートポンプ・太陽光発電の組み合わせで脱炭素化が進んでいますが、初期投資は1ヘクタールあたり数億円規模になります。

家庭菜園や日本の標準的施設園芸からは隔絶した世界です。

第二に閉鎖系ゆえのリスクです。
一度病害虫が侵入し、特に粉状の病原菌(うどんこ病、灰色かび病)や微小害虫(タバココナジラミ、トマトサビダニ)が広がると、密閉空間ゆえに急速に蔓延します。

完全制御は完全管理を要求し、管理が破綻したときの被害も大きくなります。

第三に作物適性の問題です。
オランダ型完全制御は高単価の果菜類(トマト、パプリカ、キュウリ、イチゴ)と一部のハーブ・葉物では合理性がありますが、ジャガイモ、タマネギ、根菜類、穀類、果樹といった作物群では経済的に成立しません。

世界の食料生産の大部分は依然として露地で行われており、そこで使われるのはオランダ型ではなく、後述する別系統のIPMです。

第四に天敵の側にも温室特有の問題があります。
狭い閉鎖空間では天敵同士のintraguild predation(同じ餌を狙う天敵が互いを捕食しあう現象)が起きやすく、複数の天敵を同時に導入する設計には繊細な調整が要ります。

WURの研究の多くは、この「天敵チームの設計」をどう最適化するかに費やされています。

オランダ型と並んでもう一つの最前線が、露地での生態系工学です。
2025年にWURのMesselink教授グループは「A standing army in the field」という論文を発表し、温室で確立された常駐天敵の考え方を露地圃場に拡張する研究を本格化させています。

ここでは、ハビタット管理(圃場周縁の花帯、ビートルバンク、生垣)、商用生物的防除剤の戦略的放飼、土壌生態系の健全化、土着天敵の温存を組み合わせ、密閉空間ではなく開放空間で「常駐天敵」を成立させる方法論を構築しようとしています。

これは作物の経済価値が中〜低の作物(穀類、油糧作物、根菜、果樹)にも適用可能なIPMの方向性です。

つまり世界の施設園芸IPMの最先端と、世界の露地IPMの最先端は、同じstanding armyという思想を共有しながら、異なる方向に進化していると言えます。

技術的・経済的に最も効率の高いIPMという意味では、確かにオランダ型「完全制御+天敵常駐」が現時点の頂点です。

単収、品質、防除効率、データ取得能力のすべてで、他方式を圧倒します。

ただし、この方法がベストかどうかは「何を最大化したいか」によって変わります。

実際に無農薬無肥料こそがベストだという人もいるでしょうし、肥料は科学を使うという人もいるでしょう。

経済効率と単収最大化を求めるなら完全制御型がベスト、生態系全体の健全性と作物多様性を求めるなら露地のハビタット管理型、エネルギー自給と低投資を求めるなら半閉鎖型ハウス+自然天敵活用、家庭菜園の楽しみを求めるなら防虫ネットと土着天敵の活用、というように、ベストは前提によって複数あるのが実情です。

オランダ型は「IPMの工学的到達点のひとつ」であって、「すべての菜園が目指すべき完成形」とは限らない、という捉え方が現代の議論に近いと思います。

実際、WUR自身が温室IPMの研究と並行して露地のstanding army研究に乗り出しているのは、その認識の表れと読めます。

いずれにしても言えることは知識は持っておいた方がいいということです。
すべての環境を制御しようとするのではなく、部分部分でも制御できれば、また、モニターするだけでも随分と違った家庭菜園になるのではないでしょうか。

IPM(Integrated Pest Management、総合的病害虫管理)

さて、IPMの話題に進みます。
いろいろな知識を組み合わせて環境を作り、制御していく。

理屈は理解できても、実際にどの作物にどの害虫が出て、どの天敵製剤や物理的手段を、どう組み合わせて使えばよいのかが分からなければ、菜園では役に立ちません。

ここからは、家庭菜園および小規模な施設栽培を想定し、主要な対象作物別に、出やすい害虫、対応する天敵、コンパニオンプランツやバンカープランツ、物理防除資材、選択的に使える生物農薬までを具体的に整理します。
日本で家庭菜園レベルでも入手可能な資材を中心に取り上げます。

家庭菜園でIPMを実装する場合、四つの段階を順に組み立てると整理しやすくなります。

第一段階は予防です。
輪作、健全苗の使用、土壌健全性の維持、適切な株間、品種選択、防虫ネットや寒冷紗、シルバーマルチによる害虫の侵入抑制、コンパニオンプランツの配置などが含まれます。
害虫が来にくい菜園を最初に作るのが、IPMの第一の柱です。

第二段階はモニタリングです。
黄色粘着トラップ(コナジラミ、アブラムシ、アザミウマ全般に有効)、青色粘着トラップ(アザミウマに特に有効)、フェロモントラップ(ヨトウムシ、ハスモンヨトウ、コナガなどの鱗翅目害虫)を設置し、葉裏や新芽を週に一度は観察する。
被害が出てから動くのではなく、害虫が出始めた段階で気づくのがIPMの第二の柱です。

第三段階は生物的防除です。
捕食性ダニ、寄生蜂、捕食性カメムシ、テントウムシ、BT剤(バチルス・チューリンゲンシス、青虫・ヨトウムシ類に効く生物農薬)、昆虫病原糸状菌剤などを用い、害虫の密度を抑え込む。施設栽培ではここが主役、露地家庭菜園では土着の天敵を温存するバンカープランツの併用が中心になります。

第四段階は選択的介入です。
生物的防除で抑えきれない場合に、天敵に影響の少ない選択性薬剤を、必要最小限で使う。
物理的に補殺する、被害部位を除去する、といった手段もここに含まれます。

主要な天敵製剤と適用害虫—基礎の対応表

日本で入手可能な代表的な天敵製剤と、対応する害虫を整理します。

家庭菜園向けに小分け販売されているものもあれば、業務用パッケージのみのものもあります。

販売はアリスタ ライフサイエンス、アグリセクト、アグロカネショウ、アグリ総研などの専門会社、または園芸資材店経由が中心です。

捕食性ダニ類

スワルスキーカブリダニ(製品名:スワルスキー、スワマイトなど)は、コナジラミ類、アザミウマ類の幼虫を捕食します。

ナス、ピーマン、キュウリ、イチゴで広く使われ、餌が少なくても花粉などで生き延びる汎用性が特徴です。

チリカブリダニ(製品名:チリトップ、スパイデックスなど)は、ハダニ専門の天敵です。

ナス、イチゴ、キュウリ、メロン、観葉植物のハダニ防除に使われます。

ハダニ密度の50〜100分の1の割合で放飼するのが目安です。

ミヤコカブリダニ(製品名:ミヤコトップなど)は、ハダニ類とアザミウマ幼虫の両方に効きます。

低温・低湿度にも比較的強く、施設栽培で導入しやすい天敵です。

リモニカスカブリダニ(製品名:リモニカ)は、アザミウマ類に効く比較的新しい天敵製剤で、低温期にも活動します。

捕食性昆虫

ナミテントウ(製品名:テントップなど)は、アブラムシ類の捕食者です。

家庭菜園規模でも導入例があります。

タバコカスミカメは、コナジラミ類、アザミウマ、鱗翅目の卵などを幅広く捕食する捕食性カメムシで、トマトのタバココナジラミ防除で注目されています。

ゴマやバーベナ「タピアン」、スカエボラなどをバンカー植物として併用すると定着が安定します。

寄生蜂

オンシツツヤコバチは、オンシツコナジラミの幼虫に寄生します。

トマト、キュウリで利用されます。

サバクツヤコバチは、タバココナジラミの幼虫に寄生します。

コレマンアブラバチは、ワタアブラムシ、モモアカアブラムシなどに寄生します。

ムギ類をバンカー植物にしてムギクビレアブラムシを増やし、そこにコレマンアブラバチを温存させる「バンカーシステム」は、施設栽培でも家庭菜園でも応用可能な定番手法です。

生物農薬(微生物製剤)

BT剤(バチルス・チューリンゲンシス)は、青虫(モンシロチョウ幼虫)、ヨトウムシ、コナガ、ハスモンヨトウなど鱗翅目の幼虫に効きます。

製品名としてはゼンターリ顆粒水和剤、エスマルクDF、デルフィン顆粒水和剤などがあります。

チョウ目の幼虫の腸内でのみ活性化するため、人やペットには無害で、天敵への影響もほとんどありません。

家庭菜園で最も使いやすい生物農薬のひとつです。

ボーベリア菌剤、メタリジウム菌剤は、昆虫病原糸状菌で、アブラムシ、コナジラミ、アザミウマ、コガネムシ幼虫などに作用します。

作物別の実装設計—トマト

主要害虫:オンシツコナジラミ、タバココナジラミ、ハダニ類、アブラムシ類、ヨトウムシ類、トマトサビダニ、マメハモグリバエ

予防

苗は健全苗を購入し、育苗期から防虫ネットで隔離。
株間を取り風通しを確保。
下葉の摘除でハダニ・病害発生を抑制。
コンパニオンプランツとしてバジル(アブラムシ忌避、トマトの近傍に植える定番)、ニラ(土壌病害抑制、植穴に同居)、マリーゴールド(センチュウ・アブラムシ忌避)。
シルバーマルチでアブラムシ・アザミウマの飛来抑制。

モニタリング

黄色粘着トラップを株あたり1枚または2〜3株に1枚、株上部に設置。

黄色粘着トラップ(Amazon PR)

コナジラミとアブラムシの飛来を捕捉。週1回トラップを点検し、葉裏のハダニ・コナジラミ卵を確認。

生物的防除

コナジラミにはスワルスキーカブリダニまたはタバコカスミカメ。
タバコカスミカメを使う場合は、定植直後に2週間間隔で2回放飼し、バンカー植物(ゴマ、バーベナ「タピアン」)と「天敵のごちそう」(人工飼料)を併用して苗期に定着させるのが定石です。

ハダニにはチリカブリダニまたはミヤコカブリダニ。
アブラムシにはコレマンアブラバチとムギバンカー、またはナミテントウ。

鱗翅目幼虫(ヨトウムシ、オオタバコガ)にはBT剤を散布。

選択的介入

天敵に影響の少ない選択性殺虫剤を、必要時のみピンポイント散布。
アリスタ ライフサイエンスやアグリセクトが公開している「天敵への影響表」を参照して薬剤を選定します。

作物別の実装設計—ナス

主要害虫:ハダニ類、アザミウマ類、コナジラミ類、アブラムシ類、テントウムシダマシ(ニジュウヤホシテントウ)、ヨトウムシ類

予防

定植前にシルバーマルチを敷設。

株元にモミガラやふすまを敷くとスワルスキーカブリダニが定着しやすくなることが知られています。

コンパニオンプランツとしてショウガ(半日陰条件の共生)、ニラ、パセリ(株元に植えるとアブラムシ抑制)。

モニタリング

青色粘着トラップでアザミウマを、黄色粘着トラップでコナジラミ・アブラムシを捕捉。

ニジュウヤホシテントウは成虫を見つけ次第捕殺。

生物的防除

アザミウマとコナジラミの同時対策にスワルスキーカブリダニ。

ハダニにはチリカブリダニ。アブラムシにはバンカーシステム経由のコレマンアブラバチ。

ヨトウムシにはBT剤。

選択的介入

ニジュウヤホシテントウは天敵による防除が確立していないため、補殺と被害葉除去で対応。

多発時は選択性薬剤を局所散布。

作物別の実装設計—キュウリ・ウリ科

主要害虫:ハダニ類、ウリハムシ、アブラムシ類、コナジラミ類、ウドンコ病媒介虫、アザミウマ類

予防

定植直後の幼苗期は防虫ネットでウリハムシの飛来を物理的に遮断。

これがウリ科IPMの最重要ポイントです。

コンパニオンプランツとして長ネギ(植穴同居でつる割れ病抑制)、ナスタチウム(アブラムシ忌避)。シルバーマルチでアザミウマ・アブラムシ抑制。

モニタリング

黄色粘着トラップでアブラムシ・コナジラミ・ウリハムシ成虫を捕捉。

葉裏のハダニを週1回点検。

生物的防除

ハダニにチリカブリダニ。

コナジラミ・アザミウマにスワルスキーカブリダニ。

アブラムシにコレマンアブラバチ+ムギバンカー、またはナミテントウ。

選択的介入

ウリハムシ成虫は捕殺、または朝の動きが鈍い時間帯に手作業で除去。

多発時は天敵への影響の少ない殺虫剤を局所散布。

作物別の実装設計—イチゴ

主要害虫:ハダニ類(カンザワハダニ、ナミハダニ)、アザミウマ類、アブラムシ類、ハスモンヨトウ

予防

定植時の苗の段階でハダニチェック。

育苗期から健全苗を確保することが、その後の防除負荷を大きく左右します。

モニタリング

黄色および青色粘着トラップを株間に設置。

新葉と花のアザミウマ、葉裏のハダニを定期点検。

生物的防除

ハダニにチリカブリダニ(イチゴでの定番、放飼7日後にハダニ密度を大きく低減する試験結果あり)。ミヤコカブリダニも併用すると効果が安定。

アザミウマにスワルスキーカブリダニまたはリモニカスカブリダニ。

アブラムシにコレマンアブラバチ+バンカー。

ハスモンヨトウにBT剤。

選択的介入

開花期には受粉昆虫(ミツバチ、マルハナバチ)への影響を考慮し、薬剤散布は最小限に。

マルハナバチを導入している場合は、影響表での確認が必須です。

作物別の実装設計—葉物野菜・アブラナ科

主要害虫:アオムシ(モンシロチョウ幼虫)、コナガ、ヨトウムシ類、アブラムシ類、ハイマダラノメイガ

予防

防虫ネット(目合い0.8mm以下)でチョウ目成虫の産卵を物理的に遮断。

これがアブラナ科菜園のIPMで最も効果的かつ簡便な手段です。

コンパニオンプランツとしてレタス(チョウ目成虫の産卵忌避、混植)、ハーブ類(バジル、セージ、タイム)の周辺配置。

モニタリング

葉表・葉裏の卵塊と若齢幼虫を週1回点検。

フェロモントラップ(コナガ用、ヨトウムシ用)で成虫飛来をモニタリング。

生物的防除

アオムシ・コナガ・ヨトウムシにBT剤。

BT剤は若齢幼虫期に散布するのが最も効果的で、老齢幼虫には効きが落ちます。

アブラムシにはコレマンアブラバチまたは捕殺。

選択的介入

BT剤で抑えきれない場合のみ、選択性のある薬剤を散布。

物理的防除と環境整備—IPMの土台

天敵製剤の話題に注目が集まりがちですが、家庭菜園のIPMで実際に最も効果が高いのは、物理的防除と環境整備です。

防虫ネット・寒冷紗

目合い0.4〜0.8mmで、アブラムシ・アザミウマ・コナジラミの侵入をかなりの程度抑えられます。

チョウ目成虫の産卵防止にはより目の粗い1〜2mmでも有効です。

トンネル仕立てや簡易ハウスで作物全体を覆う形が基本。

シルバーマルチ

光の反射でアブラムシ、アザミウマの飛来を抑制します。

家庭菜園では100円ショップのアルミ蒸着シートを切って使う方法もあります。

地温上昇抑制効果も副次的にあります。

黄色・青色粘着トラップ

モニタリングと同時に、捕殺手段としても機能します。

製品例:アリスタ ライフサイエンスの「ホリバー」(イエロー・ブルー)、各種「ビタット」シリーズ。家庭菜園では3〜5株に1枚を株上部に吊るす運用が現実的です。

フェロモントラップ

鱗翅目害虫の成虫飛来をモニタリングする手段。

コナガ、ヨトウムシ、ハスモンヨトウ、オオタバコガなど対象種別に専用品があります。

手作業による補殺・被害部位除去

家庭菜園規模では、ニジュウヤホシテントウ成虫、ヨトウムシの若齢幼虫の卵塊、カメムシ類の捕殺が現実的かつ確実な手段です。

被害葉・被害果の除去で病害虫の温存場所を減らすことも重要です。

バンカープランツ・コンパニオンプランツ—天敵を呼び込む

家庭菜園で天敵製剤を一回放飼しても、餌や住処がなければすぐに姿を消します。
土着の天敵を呼び込み、放飼した天敵を定着させるための植物配置が、IPMの「常駐天敵」を成立させる鍵です。

バンカープランツ(天敵を温存・増殖させる植物)

ムギ類(ライムギ・コムギ・オオムギ)にムギクビレアブラムシを発生させ、コレマンアブラバチを温存する。
これは家庭菜園でも応用しやすい代表例です。

バーベナ「タピアン」、スカエボラはタバコカスミカメの定着先として農研機構が推奨しています。

ソルゴーは土着のテントウムシ、ヒラタアブを温存します。

インセクタリープランツ(天敵を呼ぶ蜜源植物)

スイートアリッサム、コリアンダー、ディル、フェンネル、セリ科の花は、ヒラタアブ、寄生蜂、テントウムシなどを呼び寄せます。

菜園の縁に帯状に植えると効果的です。

コンパニオンプランツ(混植で害虫忌避や生育促進)

トマト×バジル、トマト×ニラ、ナス×ショウガ、ナス×パセリ、キュウリ×長ネギ、ピーマン×ラッカセイ、アブラナ科×レタスなどが代表的な組み合わせです。

効果には個体差・条件差があり、すべてが科学的に立証されているわけではない点には留意が必要です。

年間スケジュールの例—露地家庭菜園の場合

参考までに、関東〜中部の標準的な露地家庭菜園を想定した年間のIPM運用例を示します。

寒冷地はこれより1〜2ヶ月遅れる前提で読み替えてください。

3〜4月:定植前の準備期。健全苗の確保、輪作計画、コンパニオンプランツの種まき、バンカー用ムギの播種、防虫ネット・シルバーマルチの準備。

5月:定植期。防虫ネットを早期設置。粘着トラップを設置開始。コレマンアブラバチ放飼開始(必要に応じて)。

6〜7月:害虫発生初期。モニタリング頻度を週2回に。ハダニ・コナジラミ・アザミウマの初発確認次第、捕食性カブリダニを放飼。BT剤は鱗翅目幼虫の発生確認時に散布。

8月:高温期。ハダニが急増しやすい時期。シルバーマルチと潅水で抑制し、必要に応じてカブリダニを追加放飼。

9〜10月:秋作の準備と、夏作の収穫終了処理。被害部位・残渣の徹底除去で越冬害虫を減らす。

11〜2月:休閑期。土壌改良、輪作計画の更新、来季の資材調達。

家庭菜園でIPMを成立させるための現実的注意点

家庭菜園でIPMを実装する際に、見落とされやすい現実的なポイントを最後にまとめます。

天敵製剤の業務用パッケージは、家庭菜園規模では明らかに量が多すぎる場合があります。

小分け販売を行う園芸店、楽天市場の「むし工房」など一部のオンライン販売店、家庭菜園向け天敵製剤を扱うサイト(bioEggなど)を活用するのが現実的です。

天敵は「害虫が出てから入れる」より「害虫が出る前に入れる」方が効きます。

これがWUR(オランダ)が世界に広めた「standing army」、すなわち常駐天敵の発想です。

家庭菜園では、バンカープランツとインセクタリープランツの配置で土着の天敵を先に呼んでおくのが、最もコストの低い実装です。

殺虫剤を使う場合は、天敵への影響表を必ず確認します。

アリスタ ライフサイエンスが公開している影響表は2025年11月時点で第36版まで更新されており、天敵製剤を使う家庭菜園者にとっても参考になります。

完全な「無農薬」を目指す必要はありません。

IPMの第四段階に位置する選択的介入は、必要時に最小限の薬剤を使うことを否定しません。

生物的防除と物理的防除で大半を抑え、足りない部分を選択性薬剤で補うのが、現実的なIPMの姿です。


出典・情報源

国内天敵製剤・関連製品

公的機関・試験場資料

BT剤・コンパニオンプランツ・物理防除

IPMの定義——FAOとEUが共有する骨格

FAO(国連食糧農業機関)はIPMを、利用可能なあらゆる防除技術を慎重に検討した上で、害虫個体群の発達を抑制するように手段を統合する考え方と定義しています。

生物的、化学的、物理的、栽培的な手段を組み合わせ、健康な作物を育てつつ、農薬使用とその健康・環境リスクを最小化することが中核に置かれています。

欧州連合は、IPMを職業的農薬利用者すべてが実装すべき制度的枠組みとして位置づけており、八つの一般原則を示しています。

要点は、予防、監視、しきい値に基づく意思決定、非化学的手段の優先、選択性の高い薬剤の選択、必要最小限の使用、耐性管理、事後評価という流れです。

これらは単なる理念ではなく、農家が実際に意思決定する際の手順として組み立てられています。

つまりIPMの本質は、単発の防除手段ではなく、生態系を壊さずに作物を育てるための運用プロトコルにあります。

2025年型IPM——古典から次世代へ

FAOが2025年に公表した『Guidance on integrated pest management for the world’s major crop pests and diseases』は、世界的に重要な八つの病害虫について、現代のIPMがどこまで広がっているかを示す資料です。

そこで提示されているのは、衛生管理、輪作、健全苗、良好な栽培管理といった古典的手法だけではありません。

DNAベースの診断技術、マーカー育種、農業ロボティクス、生物農薬、デジタル警報システムまでが、ひとつのIPMバンドルとして扱われています。

最前線のIPMはもはや「天敵プラス少量の農薬」ではなく、生態学、育種学、デジタル監視、機械化を束ねた統合パッケージとして構築されています。

同じくFAOが2025年に公表したファシリテーター向けトレーニングガイドは、こうした技術群を現場に届けるための普及員・アドバイザー教育を整備するものです。

技術が高度化するほど、それを現場に翻訳する人材育成の重要度も増しています。

世界のIPM失敗例の多くは、技術不足というより教育・助言・制度の不足だと指摘されてきました。

FAOが技術ガイドラインと並行してトレーニングガイドを整備していることは、その認識の表れと言えます。

オランダ—温室を生態系として設計する流派

農業といえばオランダですよね。
オランダの強みは、IPMを温室という制御可能な生態系の設計問題として扱ってきた点にあります。Wageningen University & Research、通称WURは、生物的防除資材の選抜・開発・検証だけでなく、診断、モニタリング、隔離温室試験、実用条件下での検証、統合作物管理の設計までを一体化して進めています。

ここではIPMが、害虫対策である以上に、化学依存を下げつつ生産安定性を高める栽培システム設計として扱われています。

WURの温室IPM総説が示す実装条件は示唆的です。

完成度の高いIPM体系を先に作ること、導入初期に強い普及支援をつけること、コストが化学防除より過度に不利でないこと、非化学資材が安定供給されること、進歩的な生産者と早期に組むことなどが、成功条件として挙げられています。

技術論ではなく、サプライチェーンとアドバイザリー体制の話です。

オランダの設計思想を最もよく表すのが「standing army」、日本語に訳せば常駐天敵という考え方です。

害虫が出てから天敵を導入するのではなく、代替餌や代替寄主、作物内の生息条件を整えて、天敵群集を先に定着させておくという発想です。

IPMを反応型から予防型・常設型へと転換する設計思想であり、現在の先端温室IPMの中核に位置しています。

この概念は2025年、温室の枠を超えて露地圃場への適用へと拡張されました。

WURのGerben Messelink教授の研究グループは、商用の生物的防除剤とハビタット管理を組み合わせ、露地でも常駐天敵を機能させる方法論の構築を進めています。

同氏の教授職は2025年にWURで延長され、今後数年間、予防的生物防除と機能的生物多様性の研究がさらに展開されることが公表されています。

WURでは2024年開始のプロジェクトとして、侵入性カメムシ類、ミナミアオカメムシ(Nezara viridula)とクサギカメムシ近縁種(Halyomorpha halys)に対する温室IPM研究も進行中です。

卵寄生蜂、捕食者群、食物網の相互作用、植物形質、代替餌、他のIPMツールとの統合までを扱う構成で、新規侵入害虫に対し単一の薬剤ではなく食物網全体を設計するという、典型的な生態系工学型のアプローチが採られています。

オランダの公的統計機関CBSは、施設園芸における生物的防除剤利用のデータセットを公表しており、IPMが理念ではなく測定される実装インフラとして根付いていることを示しています。

4. ドイツ——制度と公的研究で支える流派

ドイツの強みは、オランダほどブランド化されていなくても、制度、公的研究、作物別ガイドラインが厚いことにあります。

次世代型IPMの具体例として注目されるのが、JKIで進むトマトキバガ(Tuta absoluta、近年の分類見直しによりPhthorimaea absolutaとされる)に対するRNAi技術、昆虫病原ウイルス、植物内生菌(エンドファイト)を組み合わせる統合プロジェクトです。

フンボルト財団のフェローシップを受けたトーゴ出身のAyaovi Agbessenou博士が中心となり、三つの作用機構の異なる手段を一つのIPMパッケージとして温室・半圃場条件で評価する研究が進められています。

この研究は二重に象徴的です。

ひとつは、分子生物学的手法と生物的防除を温室条件で統合するという技術的最前線を示している点。もうひとつは、ドイツのIPM研究機関が国際的な人材を吸引するハブとして機能しているという、制度的厚みを示している点です。

EU政策の現在地——2024年のSUR撤回という逆風

IPMの技術と思想が前進する一方で、政策面では大きな後退も起きています。

欧州委員会は2022年、Sustainable Use Regulation、略称SURと呼ばれる規則案を提出していました。

これは農薬の使用量とリスクを2030年までに50パーセント削減する法的拘束力のある目標を含み、IPM実装の制度的後ろ盾として期待されていました。

しかし、欧州各地で広がった農家による抗議運動を受け、欧州議会は2023年11月にこの案を否決し、ウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長は2024年2月に撤回を表明、同年5月に正式に撤回されました。

欧州グリーンディールの中核政策のひとつが、農業政治の現実の前に倒れた形です。

この撤回が意味するところは複雑です。

IPMの一般原則を定めた既存の指令(Directive 2009/128/EC)は依然として有効であり、加盟国レベルでのIPM実装は継続されています。


出典・情報源

定義と政策骨格

2025年の最新実務資料

オランダ・WUR関連

ドイツ・JKI関連

EU政策動向

  • European Parliament Legislative Train「Sustainable Use of Pesticides – Revision of the EU rules」 https://www.europarl.europa.eu/legislative-train/
  • Reuters「EU’s von der Leyen wants to cancel plan to halve pesticide use」2024年2月6日
  • PAN Europe「Black Day for Health and Biodiversity: EU Commission withdraws proposal」2024年2月

俯瞰と批判的レビュー

分類関連

参考動画

  • Wageningen University & Research「Biological pest control in greenhouses」YouTube