全裸監督とコールドケース、二つの「時代の色」をLUTで追いかけてみる
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久しぶり?というか、当ブログでは初になるかもしれない、動画編集の話。
実は昔、映像関係の仕事をしていた時にLUTのことをちょっとかじって、カラグレなんか勉強していたんですが、最近そういえば随分動画編集のこと置いてけぼりだったな〜と思い、調べてみると、FINAL CUTでさえ大幅に進化していたことに驚き、またソフト使えるようにならなければ、、、と思っている次第であります。
さて、Netflixの『全裸監督』を観たとき、最初に気になったのはストーリーでも山田孝之の名演技でもなく、画面そのものの色でした。
1980年代後半の東京、バブル景気の終わりかけの空気が、登場人物の台詞よりも先に色で語られていることに気づきます。
ハイライトはわずかにマゼンタへ寄り、シャドウはティールに沈み、肌は少しオレンジに転んでいる。彩度は決して高くないのに、赤と橙だけが妙に記憶を刺してくる。
私が懐かしいと感じているのは映像の中の出来事ではなく、あの色そのものなんだと気付きました。
同じ感覚を別の場所で味わったことがあって、それがアメリカのCBSドラマ『コールドケース』です。
未解決の殺人事件を、現代の刑事が当時の関係者の証言を辿りながら掘り起こしていく構成のドラマで、現代パートと過去パートが頻繁に行き来する。
この過去パートの色と質感が異様によくできていて、1960年代の事件は1960年代の色で、1980年代の事件は1980年代の色で立ち上がってくる。視聴者は説明なしに「ああ、これは昔の話だ」と理解できる。色が時間軸そのものを担っている次第であります。
この二作品を並べて眺めていると、共通する一つの構造が見えてきます。
色は時代を再現するための装飾ではなく、観る側の記憶を呼び起こすためのトリガーとして使われている。
事実の再現ではなく、感情の再現です。
多くの人はこの二つのドラマ、何よりカラグレに惹かれているんだと思います。
全裸監督の色は、実はLUT一発ではない
少し残念な事実から書いていきましょう。
あの『全裸監督』の色は、市販のLUTを当てて作れるものではありません。
そんなことわかってますよね。
失礼しました。
Netflixが公開している制作スタッフのインタビューを読むと、シーズン1の段階で武正晴監督たちはロサンゼルスへ渡り、デヴィッド・リンチ作品を手がけたカラリストと10日間かけて最終的なルックを作り込んでおり、シーズン2に至っては、Spade&Co.とロゴスコープが4K/HDRのACESワークフローを一から構築して、ショットごとに精密にグレーディングしていることがわかります。
つまりあれは、トップカラリストが手で彫り込んだ一品ものの色なんです。
特にシーズン2のカラーは白眉、本当にタイムスリップしたかのような没入感を味わえますよね。
ただ、構成要素を分解することはできます。
私の見立てでは、あのルックはシャドウをティール寄りに沈め、ハイライトと肌のミッドトーンを暖色側に振る、強めのオレンジ&ティール。
全体の彩度はやや抑えつつ、赤と橙だけは残す。
黒は完全に潰さず、わずかに浮かせて霞ませる。
これはフィルムプリントのフッター特性を模した処理で、デジタル撮影の硬さを和らげる効果があります。
最後に微細なフィルムグレインと、ハイライトの境界に薄いハレーション。
これに最も近づける既製LUTの組み合わせとしては、Kodak 2383フィルムプリントエミュレーションLUTを土台にして、その上に80年代日本映画系のカラーパックを薄く重ねる、という二段構えが現実的です。
Kodak 2383は無料で配布されているものも多いので、入手のハードルは低いです。
コールドケースは、そもそもLUTで再現する発想がずれている
ここからが少し厄介な話で、コールドケースのルックを「LUTで作る」という発想自体が、本来の制作意図とは違うんです。
撮影者たちの議論を辿っていくと、コールドケースの過去パートは35mm、16mm、リバーサルフィルム、Hi-8といった、その時代に実際に使われていたフォーマットを物理的に使い分けて撮られていたという証言が出てきます。
クロスプロセス(現像液を入れ替える特殊現像)で彩度を狂わせたり、コントラストを上げたりもしているわけです。
つまりあの色は、撮影段階で素材そのものが時代の色を持っている状態で記録されていて、ポストプロダクションでLUTを当てて作っているのとは性質が違うんですね。
これは、筆者が録音制作をする際に、わざわざ一度Revoxの38cmでアナログ録音してから、DSDレコーダーでデジタル化する手法と同じ感覚、概念になります。
フィルムストックの選択は今で言えばLUTの選択に相当する作業で、リバーサルの粒状性、16mmの解像感の低さ、Hi-8の色滲み、これらが画面に乗ることで時代が立ち上がります。
ですので、コールドケース風のルックを後追いで作りたい場合、LUTだけでは絶対に届かない領域があることを理解しなければいけません。
フィルムグレイン、ハレーション、軽い解像感の低下、わずかなフリッカー、これらを重ねて初めて「あの感じ」に近づきます。
家庭用機材で再現するときの現実的な手順
ここまで書いておいて、では我々はどうすればいいのか、という話になります。
まず素材の正常化として、Rec.709相当に戻す、次にクリエイティブLUTを乗せるというのが基本の流れかと思います。
全裸監督方向ならKodak 2383ベース+オレンジ&ティール強化。
コールドケース方向なら、年代ごとに性格の異なるLUTを使い分ける必要があって、60年代パートならテクニカラー風のやや退色した三色分解の色、70年代ならコダクローム風の暖色、80年代ならビデオテープ風の彩度高めで青転びぎみ、90年代ならややフラットでマゼンタ寄り、というように分けていくのが理想でしょう。
Final Cut Pro 11.1から標準搭載されたAdjustment Clip(調整クリップ)が、ここで効いてきます。
これは10年前のFCPには存在しなかった機能で、タイムラインの上に一本クリップを置くだけで、その下にある全カットに同じエフェクトとLUTを一括適用できる。
年代別の調整クリップをいくつか作って保存しておけば、素材を放り込んで該当する時代の調整クリップを上に重ねるだけで、ルックが決まるという機能。
仕上げのフィルムグレインとハレーションは、FCPの標準エフェクトでは正直物足りないので、FilmConvert NitrateやKoji Color、あるいは無料のフィルムグレイン素材をオーバーレイで重ねる方法に頼ることになります。
ここはまだ自動化しきれない領域として残っています。
結局、色は何を運んでいるのか
二作品の色を解剖していくと、私はだんだん別のことを考え始めました。
全裸監督の色は、バブル期を「経験した者の記憶」として再構成している。
コールドケースの色は、各時代を「その時代の素材で記録された記録物」として復元している。
前者は内側からの記憶の色、後者は外側からの時代の色、と言ってもいいかもしれない。
私たちが古い写真や映画を観て条件反射的に感情を動かされるのは、その振動に身体が共鳴しているからで、これは個人の体験というよりは集合的な記憶のレイヤーに属する話、つまり極めて量子物理的な話なのかもしれません。
LUTという技術は、その瞬間のための道具なんだと、最近は思うようになりました。