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抽象レベルを上げるということ〜物質の最小単位は振動?

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こんにちは、音楽家の朝比奈幸太郎です。
ここしばらくはいろんなジャンルのブログを投稿してきました。

今日は徒然なるままに日記。
抽象レベルが上がりそうだったので、家庭菜園と人間の関係について考えてみます。

ここで考えたことは、人間がそもそもなぜ地球上に生きているのか?という問いかけになります。
みなさんの考えるきっかけとなれば幸いです。

家庭菜園をしていて感じること。
それが、この植物、食べ物たちに命を感じるか?というところ。
私は決して自分を冷徹な人間だとは思っていませんし、草と花を愛でる心があるし、犬や猫、動物は結構好きで愛しています。

ただ、ロジックで菜園を眺めていて思ったこと。
それが、人間は太陽をエネルギーとして蓄積することはできないし、土を食べるわけにはいかない。
水を飲んでも水分補給だけで栄養は取れない。

これらの草(ハーブとかトマトとか含めて)は、土、太陽、水を人間の栄養に変換するただのコンバーターなんじゃないか?という視点を見たときに、原始時代、つまり狩猟採集時代の世界が一気に目の前に広がったのです。

おそらく生命がどうとか、そういう感情の部分は、まあ適当に各々楽しめばいい。
ただ、ファンクションという意味では太陽と土と水のミキサーコンバーターなんだという視点、これは貴重な体験でした。

釈迦の悟った悟りの中でも、執着を手放すというもの、そして、細分化された現象に重要性を持たせないという点があるかと思いますが、まさに、生命がどうとかの感情の部分はただのコンバーターである草に感情論的な重要性を付加させた状態に他ならない完全な執着であると言えます。

どうでしょうか?世界の見え方が変わってきませんか?

他の現象も同様に、ロジックとして見ることで世界の見え方が変わってきたりします。
私たち人間も然り、意思決定や行動パターンにはある種のアルゴリズムが乗っているわけですから、存在そのものが、何かのコンバーターである可能性も否定できないですよね。

それは抽象レベルの細分化で見えてくるお話ですし、地面を歩いている蟻が、草に対して、コンバーターであるという見方はしないでしょう。

でも人間はおそらく脳のファンクションの一部として、抽象レベルを上げたり下げたりできる仕組みが備わっているのではないかと個人的に推測しているのですが、もし備わっているのであれば、思考だけで人間とは何か?誰のなんのための存在か?が見えてくるのではないでしょうか。
それが悟りの最終形態とでもいいましょうか、釈迦は人間とは何か?を抽象レベルの高い位置からみえていたのかもしれませんし、私たちも見ることができるでしょう。

そもそも釈迦って、地球上のどっかには骨が残っているそうですが、ただの骨ですから、情報だけで存在を感じ、確定できる私たち人間の脳はおそらく抽象レベルをコントロールする機能を備えているでしょうね。

ぜひみなさんもまずは目の前の現象から悟ってみてはいかがでしょうか?
悟りを開くって別になんてことのないことで、偉くもなんともないんですよ・・・と知ることが執着を手放す第一歩なのかな?と思うわけです。

ではでは。

朝比奈幸太郎