文化レベルを上げるとは何か
今日は徒然ブログ。
こんにちは音楽家の朝比奈幸太郎です。
ここ最近はインフラ系の記事ばかりで、あんまり徒然日記を書いてきませんでしたが、今週は土曜日と日曜日少し頭を休めて読書期間でもしようと思います。
最近のマイブームは孫子の兵法。
戦いに勝つために必要なこと、、、といえば、なんだか物騒ではありますが、生きていくために便利な教え、しかも現代でも通用するものなんです。
気になる方は図書館でもチェックしてみてください。
さて、今日のテーマは文化レベルを上げるということ。
私は日本人音楽家、芸術家として日本の文化レベルを守り、そして上げるということをテーマに活動しています。
といっても、そんなにたいそうなお話ではないんです。
芸術家ってなんなの?音楽家ってなんなの?というお話ですし、筆者がやってることといっても芸術活動ですから、詰まるところ全く意味のない活動なんですね。
何度でもいいますが、この「意味のないことという概念を提供すること」こそ芸術家のお仕事であると思っています。
芸術家・音楽家ってなんだ?
音楽業界で長らく活動していると、「音楽家って何?」という質問を受けることはまあまずありません。
芸術家ってなに?という質問も然りです。
しかし、実際に芸術家とは何か?
音楽家とは何か?よくわからないという人も一定数いるかと思います。
実は「そんな疑問を持つ人がいなくなること」が日本の文化レベルを底上げすることにつながるんじゃないだろうか?と考えるわけです。
俗にいう先進国と言われる国では、、、
うん、先進国の定義は難しいですね、うーん、GDPの高い国としておきましょうか。
先進国では、芸術家ってなんだよ!?とか、哲学者ってなんの仕事してるんだ?!とかそういう疑問を持つ人はほとんどいません。
実はこれは最近になって感じることではあるんですが、日本ではまだまだ芸術家って何をしてるの?って感じる方、意外に多い印象。
20年後か30年後かに日本人のほとんどが、芸術家が何をしている人か、音楽家が何をしている人か、画家が何をしている人なのか?
写真家って何か?誰も疑問を持たなくなる世界がやってくると、私たち芸術家が一定の活動をしっかりしていた、いえ、一定の無駄を社会に提供できていたということの証明になるわけですね。
じゃあ意味のある仕事ってなに?
これも非常に難しい問いではあるんですが、正確にいうと、意味のある仕事じゃなくて、意味を感じる仕事というべきでしょうか。
実は人間って仕事に対してなんらかの意味を感じないと精神が崩壊するってしっていましたか?
かの有名なアウシュビッツ収容所できつい拷問の一つが、A地点からB地点に石を運び、また元に戻す。
この作業を永遠に繰り返させられるというものだったそうです。
これ精神的に相当しんどいそう。
日本の刑務作業といえば、一定の成果物があり、刑務作業品はしっかりと社会に還元されています。
人間というのは、役割と、目的、そして成果物という脳の報酬をもらってはじめて意味という概念をその作業に感じることができる。
つまり仕事というのは、人間が人間として精神崩壊せずに生きていくための意味付けというわけなんですね。
ベーシックインカムが議論されていますが、経済学的にみて、おそらくかなり安全な政策でしょう。
しかし世界中が社会実験だけにとどまり、実装しない理由は、経済がおかしくなるからじゃなく、人間がおかしくなるからだと筆者は感じています。
AIが進化して、結構な人間の作業がいらなくなっている、なくなる職業と言われていたけど、実はあんまりなくなっていませんが、これもこういう精神性の仕組みだと筆者は感じています。
人間が暇の塊になったときに精神がおかしくならないようななんらかの仕組み、システムが出来上がった時に支配者層は喜んでベーシックインカム導入するんじゃないでしょうか。
なんで喜んで導入するか?はここでは割愛しておきましょう。
だからって意味のない芸術家はそんな精神崩壊を耐えていてえらい!!といってるわけじゃないんですよ。
実はここに繋がってくるわけですが、意味のないこと、そして無駄という概念を芸術家が生み出すことによってこんなマクロな社会の潤滑剤を生み出しているということ、、、とーーーーーってもマクロなおはなしですよ。
だからこそ芸術家と哲学者は社会に必要なんですよ。
もちろん使い方次第ですけどもね。
で、「暇」ができたときに、その空虚感を埋めてくれるのが「無駄」であって、この世界のシステムを動かす歯車として成立するための重要なアイテム、それが芸術(無駄)なんですね。
という、20代の頃とは少し違ったアプローチで芸術論を語ってみました。
というわけで今日の徒然日記はここまで。
で、結局どんな仕事してるんだよ!?と思った方、ぜひ一度考えてみてください。
考えるきっかけになれば幸いですし、みなさんが考えるきっかけになればこの文章自体が美しい芸術そのものと言えるのではないでしょうか。
ではでは。
朝比奈幸太郎