お盆休みというものがあります。
筆者は田舎町に引っ越してきて初めて?といってもいいくらい、お盆というものを目の当たりにし、このお盆という文化について気になったので調べてみました。
本記事では同時に日本人の宗教観などについてもみていきます。
足寄町では毎年8月15日に花火大会があるようで、今年は8000発の花火があがっていました。
冬は極寒、イベントやおでかけが貴重な地域ですので周辺地域からもわんさか人が集まっており、確かにすごい人でした。
そもそもお盆とは?
単に実家に帰る?だったり、お墓参りをする?だったりの時期だと思っていたりしませんか?
お盆という行事は、日本の歴史や文化の重なり合いから生まれた非常に独特な習慣です。
その起源をたどると、仏教に由来する「盂蘭盆会」(うらぼんえ)という法要に行き着きます。
つまりお盆そのものは仏教であると言えるわけですね。
盂蘭盆会は、サンスクリット語の「ウラバンナ」が語源で、「逆さ吊り」を意味します。
これは、お盆の由来の一つである「目連尊者」(もくれんそんじゃ)は、釈迦十大弟子の一人で、神通力に優れていたことで知られる人物
の母親が餓鬼道に落ち、逆さ吊りにされたような苦しみを受けていたという伝説に由来します。
目連は、釈迦の教えに従い、僧侶に供養を捧げることで、母を救済したと伝えられています。
これは古代インドの経典に基づく儀礼であり、目連尊者のように亡くなった人々を救済するために僧侶へ供養を行うものでした。
日本には7世紀頃に伝わり、宮中や寺院で営まれる年中行事として定着していきます。
しかし日本にはもともと祖霊を祀り、夏に先祖の霊を迎えるという信仰が根強くありました。
盂蘭盆会がそうした祖霊信仰と結びついたことで、今日の「お盆」という姿が形づくられていったのです。
では7世紀頃に伝わった仏教文化よりも以前、夏に先祖の霊を迎えるという信仰についてもう少し詳しくみていきましょう。
夏に祖先の霊を迎える習慣の歴史
日本人は太古の昔から、亡くなった人の魂(みたま)は消え去るのではなく身近な地域に留まり、やがて祖霊(それい)として子孫や共同体を見守る存在になると信じてきました。
縄文時代の遺跡からは屈葬や副葬品を伴う墓が発見されており、既に死者の魂を敬う思想がうかがえます。
また縄文後期の「環状列石(ストーンサークル)」や土偶などは、祖先や精霊と交信する儀礼に用いられた可能性が指摘されています。
弥生時代に入り稲作が始まると、祖先の霊は田畑の豊穣や一族の繁栄をもたらす守護神として祀られるようになり、季節ごとの祭りで霊を迎える風習が形成されました。
古墳時代には各地に巨大古墳が築かれ、祖先(とりわけ首長層)の霊を祀ることが権威の源泉となりました。
当時の人々は、死者の魂が身近な山や丘に留まると考え、年月とともに霊格が高まって氏神(うじがみ)や土地の守護神へと昇華すると信じました。
実際、古事記や日本書紀には天皇や皇族が祖先の御魂(みたま)を祭った例が見られ、律令期には国家祭祀として歴代天皇の霊を慰める皇霊祭が宮中で行われています。
このように、日本固有の祖霊観では「人は死後すぐに神になるのではなく、一定期間子孫の祭り(祖先祭祀)を受けることで次第に清められ、祖霊神として家や土地を守護する存在になる」と考えられてきました。
この思想的背景が、後に外来の仏教や道教の要素を受け入れる下地ともなっていったのです。
夏に祖先の霊を迎える習慣の形成(農耕暦と疫病除け)
古い時代には旧暦1月15日(正月)と7月15日(夏)ごろの年2回、満月に合わせて祖霊を迎える祭りが行われていたとされます。
正月行事は歳神(としがみ)・祖先神を迎えるもので、新年の豊穣と一家の加護を祈る祭でした。
一方、夏の祭りは田植えから収穫までの農繁期の中間にあたり、先祖の霊(精霊しょうりょう)を里に迎えて生育を見守ってもらい、収穫の無事を祈る意味を持っていました。
稲作農耕社会において夏は高温多湿により台風や病害虫の被害が起こりやすく、また人々にとっても疫病が流行する危険な季節。
そこで夏の盛りに祖霊を慰め、その加護によって災厄を避けようとする祭礼が各地で発達したというわけです。
特に西日本では、奈良・平安時代から疫病除けの御霊会(ごりょうえ)が盛んに行われました。
京都の祇園祭は貞観11年(869年)に都で疫病が流行した際、神泉苑で行われた御霊会を起源とするものですが、これは怨霊となった死者の御霊を鎮めて疫病退散を祈る祭典でした。
「御霊信仰」とも呼ばれるこの風習では、怨みを残して死んだ人々の霊や無念の死を遂げた霊を手厚く慰めることで、村や都に祟りや災害が及ぶのを防ごうとしました。
平安中期以降、御霊会は民間にも広まり、夏に祖先や無縁仏の霊を慰める村祭りへと形を変えていきます。
この過程で火や水を使った様々な儀礼が生まれました。
例えば、京都ではお盆の終わりに「六道まいり」といって、あの世とこの世の境とされる六道の辻に赴き、迎え鐘を撞いて祖先の霊を迎える風習があります。
また、精霊を送り出す「送り火」や川に灯籠を流す「精霊流し」といった行事も各地に根づき、夏の風物詩として定着しました。
こうした祖霊祭祀は、西日本から全国へと広がり、「夏になると先祖の霊が里帰りしてくる」という考え方が日本人の間に共有されるようになったわけです。
仏教伝来による変化と盂蘭盆会の融合
6世紀半ばに仏教が伝来すると、日本の祖霊祭祀は新たな影響を受けます。
仏教には盂蘭盆会(うらぼんえ)と呼ばれる先祖供養の行事があり、そのもとになったのが古代インドのウランバナ(Ullambana)すなわち「盂蘭盆経」の教えでした。
盂蘭盆経はお釈迦様の弟子・目連尊者が餓鬼道に落ちた母親を救うため、夏安居明けの僧たちに供養(飲食物の施し)を行い、その功徳で母を極楽に生まれ変わらせたという説話を伝える経典です。
この物語は「親が子を思う情愛」と「供養による霊の救済」を説いており、中国に伝わると道教の**中元節(旧暦7月15日)**の習俗とも融合しました。
中国の中元節は地官大帝が死者の罪を赦す日とされ、家々で祖先や無縁仏に供物を捧げ灯火をともす行事でした。
こうした東アジアの宗教的背景を経て、仏教儀礼としての盂蘭盆会は飛鳥時代に日本へも伝来します。
日本最古の盂蘭盆会の記録は『日本書紀』推古天皇14年(606年)7月15日条で、推古天皇が仏教に基づく斎会を催したというものです。
さらに斉明天皇3年(657年)には飛鳥寺で盂蘭盆会が行われたこと、斉明5年(659年)には京内の諸寺で盂蘭盆経の講義が行われたことが記されています。
このように7世紀には宮廷や仏教寺院において盂蘭盆会が営まれ始めました。
とはいえ当初の盂蘭盆会は限られた仏教行事であり、民衆に浸透するには至りませんでした。
やがて奈良・平安時代を通じて仏教の祖先供養と在来の祖霊信仰が融合し、今日見るような形の「お盆」が成立していきます。
仏教側の盂蘭盆会が旧暦7月15日を中心とした行事であったことから、日本古来の7月の祖霊祭と時期が重なり、両者は自然と結びつきました。
現在でも一般に「お盆=仏教の行事」というイメージがありますが、実際には神道的な祖霊信仰と仏教的先祖供養が重層的に組み合わさった行事というわけです。
お盆って結局いつなの?
お盆の時期は実は地域によって異なります。
東京や関東の一部では7月に営まれる「新盆」が一般的ではありますが、多くの地域では8月13日から16日にかけて行われる「旧盆」が主流となっています。
沖縄や奄美などでは今でも旧暦7月にあわせて行われており、エイサーと呼ばれる踊りが集落を巡って祖霊を慰めます。
暦の違いがそのまま地域文化の多様性として残されているのは、お盆という行事の大きな特徴といえるでしょう。
家庭でのお盆の迎え方には一定の共通点があります。
13日になると、家の前で迎え火を焚き、祖霊が迷わず帰ってこられるように道を示します。
家の中には精霊棚と呼ばれる飾りを整え、季節の果物や野菜、団子、素麺を供えます。
きゅうりで作った馬となすで作った牛は有名で、「馬で早く帰ってきてもらい、牛でゆっくり帰ってもらう」という願いが込められています。
期間中は僧侶が各家を巡って読経を行う「棚経」があり、家族はお墓を掃除して線香や花を供えます。
そして16日には送り火を焚き、再び霊を彼岸へと送り出します。
京都の「五山の送り火」や長崎の「精霊流し」などは、その地域を象徴する夏の光景になっています。
お盆にはもう一つ大切な側面があります。
それは共同体の絆を確かめる「祭り」としての側面です。
阿波おどりや郡上おどり、西馬音内盆踊りのように各地で踊りが発展し、人々が一堂に会して踊り明かします。
踊りはもともと死者を慰め、無縁仏を供養する意味を持っていましたが、次第に娯楽や観光の要素も加わり、地域を象徴する文化へと成長しました。
仏教的には先祖が家に帰ってくるという考え方には宗派ごとの解釈の違いもあります。
例えば浄土真宗では「霊が帰る」という発想を強調せず、亡き人を偲ぶ行事として捉えることが多いとされます。
それでも地域社会の慣習の中で、多くの家庭が自然とお盆を過ごしています。
つまりお盆は、純粋な宗教行事であると同時に、生活文化として人々の暮らしに深く根を下ろした存在なのです。
現代では核家族化や都市生活の変化によって、昔のように門口で火を焚くことが難しくなったり、帰省ラッシュという社会現象が生まれたりと、その形は変わりつつあります。
しかし、夏の盛りに先祖を迎え、祈りを捧げ、そして家族や地域の絆を確かめるという根本的な意味は今も変わりません。
お盆は、日本人が「生きている自分」と「過去の世代」とをつなぎ直す時間であり、同時に夏の暑さの中で共同体を再確認する祭りでもあるわけです。
日本人の宗教観
日本人の宗教観といえば、神道と伝来した仏教が軸になっており、キリスト教やイスラム教などの伝統宗教も信者がいますし、移民の関係で割合は年々増加していっていることでしょう。
一応少し調べてみると次のような数字が出てきました。
神道:83,371,429人 → 約67.6%
仏教:81,069,419人 → 約65.7%
キリスト教:1,246,742人 → 約1.0%
イスラム教(田中浩文 2019推定、2020年時点で約23万人) → 約0.19%
ヒンドゥー教(ARDA推定:約24,000人規模) → 約0.02
ユダヤ教:古代宗教であるものの、日本での信者数は数百人規模とされ、割合は0.001%未満
確かにユダヤ教徒って珍しいですよね。
シナゴーク(ユダヤ教の教会)も筆者の故郷である神戸にありましたが、関西圏で他には聞いたことがありません。
神道の信者数を調べるというのはさすがに無理があり、GPTがどこから引っ張ってきたかはしりませんが、キリスト教が1%というのは意外に少ないと感じる方も多いかもしれませんね。
筆者の祖母はキリスト教でした。
ちなみに新興宗教の中でも幸福の科学は、キリスト教からの改宗ルートが多く、創価学会は仏教系ルートが多いという印象でしょうか。
幸福の科学はそういう意味では結構特殊で、ほとんどが神道や仏教からの流れが多い中、舶来系の改宗ルートを持つ新興宗教って意外と珍しかったりしますよね。
神道や仏教の信者数は定義するのが難しいのですが、なぜそう思うかというと、「自分は無宗教」であると勘違いしている日本人は結構な数いるんじゃないか?(筆者の肌感覚)ということです。
「私は無宗教です」と言いながらお墓を磨いている人も実際に会ったことがあります。
もちろん無宗教も定義しなければいけないと思いますし、無神論との区別や、とっても大切な価値観である不可知論もそれぞれ定義しないことには語れないお話であることはわかっています。
ただ、定義せずにわかることといえば、無宗教や無神論、不可知論者もたくさんいるのと同時にそもそも宗教という哲学そのものを「知らない」し「考えたこともない」日本人がたくさんいるというわけで、これは実に珍しい民族でるといえます。
不可知論
物の本質とか実在の最後の根拠とかは認識できないとして、経験を超越する問題を扱わない立場。
で、せっかく宗教についての話題に触れていますので、設立100年以内の新興宗教の信者数をみてみようと思います。
日本国内における新興宗教信徒数と人口割合
1925年以降に設立された主な新興宗教教団について、最新データから日本国内の信徒数と総人口比を表にまとめてみました。
もちろんお察しの通り、1925年以降に設立された主な新興宗教教団というと、コンビニの数を数えるほどありますので、有名なものをリストアップしています。
信徒数は各教団の公式発表や研究者推計、文化庁『宗教年鑑』等をもとにしており、算出基準(会員世帯数、会員数、授与経典数累計など)が教団ごとに異なる点に留意する。
なお日本の総人口は約1.25億人とする。
教団名(設立年) | 信徒数(日本国内) | 日本人口比(約1.25億人) |
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創価学会 (1930年) | 827万世帯 (公称)(信徒を「学会員」と称し、会員世帯数ベース) | 約13~14% |
世界平和統一家庭連合 (1954年) | 56万人 (公称、2015年推計) | 約0.45% |
幸福の科学 (1986年) | 1100万人 (公称: 経典『正心法語』授与累計) | 約8.8% |
立正佼成会 (1938年) | 1,801,218人 (文化庁『宗教年鑑』2024年版) | 約1.4% |
真如苑 (1936年) | 91.7万人 (公称, 2022年時点教団発表) | 約0.7% |
パーフェクト・リバティー教団 (PL教団) (1916年創立) | 現在:数万人規模 (教団未公表、1980年代は公称265万人 | ≪0.1% |
確かに創価学会は友達100人いたら、13、4人はいるイメージですよね。
とにかく選挙のイメージ。
世界平和統一家庭連合は宗教二世問題を世に解き放った稀有な存在として有名ですよね。
PL学園がパーフェクトリバティー教団が母体になっていることを知らない人もいるんじゃないでしょうか。

音楽家:朝比奈幸太郎
神戸生まれ。2025 年、40 年近く住んだ神戸を離れ北海道・十勝へ移住。
録音エンジニア五島昭彦氏より金田式バランス電流伝送 DC 録音技術を承継し、
ヴィンテージ機材で高品位録音を実践。
ヒーリング音響ブランド「Curanz Sounds」でソルフェジオ周波数音源を配信。
“音の文化を未来へ”届ける活動を展開中。