北海道に移住してきて食文化の違い(主に食材や呼び方)などは日々驚く毎日ですが、8月7日は七夕だったそう。
これは非常に驚きでした。
実はその背景には日本人が長く使ってきた旧暦、新暦の違い、そして地域の気候と文化への柔軟な対応が隠されています。
なぜ北海道(や東北)は今も8月7日にこだわるのか、その歴史と文化を紐解いてみましょう―
七夕の起源と7月7日という日付について
七夕は、もともと中国から伝わった「織姫(ベガ)」と「彦星(アルタイル)」をめぐる伝説に由来し、1年に1度だけ天の川をこえて2人が出会うというロマンチックなお祭りです。
この物語とともに、中国の「乞巧奠(きっこうでん)」という、裁縫や手芸の上達を願うお祭りが日本に伝わり、奈良時代には宮中行事となり、やがて庶民にも広まりました。
「7月7日」という日付は、伝説に基づき「織姫星」と「彦星星」が最も美しく輝く時期にあたると考えられていたため採用されました。
しかし、この7月7日とは「旧暦(太陰太陽暦)」での日付であり、現在使われている「新暦(グレゴリオ暦)」の7月7日とは、実際には時期が1か月ほど異なります。
なぜ北海道や東北で「8月7日」に祝うのか?
江戸時代、七夕は全国的に「旧暦7月7日」に祝われていましたが、明治時代に新暦へと大幅に移行したことで、暦のずれが生じました。
旧暦の7月7日は、現在の暦で言えば8月中旬ごろに当たります。
そのため、本来の季節感や、星が美しく見える時期を重視した地域(主に北海道・東北や一部西日本など)では、7月7日ではなく「月遅れ」で8月7日に七夕を祝うようになったというわけです。
2025年の旧暦
2025年の旧暦7月7日は8月29日となっています。
- 気候の違いも理由の一つ
北海道などの寒冷地では、7月はまだ梅雨の影響や冷涼な日があり、星空観察に向きません。一方8月には気候が安定し、天の川や夏の大三角形(ベガ・アルタイル・デネブ)が綺麗に観測できるため、星まつりとしても最適な時期となったのです。 - 地域的な習慣の違い
北海道の一部、函館や根室などでは本州と同じ7月7日に行われることもありますが、道内の大部分は8月7日に実施されます。また、東北の有名な「仙台七夕まつり」や、青森の「ねぶた祭り」もこの旧暦(8月)基準で開催されています。
七夕文化の多様性と地域ごとの工夫
日本全国で七夕の祝い方や日付が異なるのは、旧暦/新暦の暦の違いだけでなく、その土地の気候風土や行事との調和、文化の受容の仕方に由来します。
北海道には「ローソクもらい」など独自の風習もあるほどです。
このように、七夕は一律に「7月7日」というわけではなく、その土地ごとの生活や自然との関係、そして歴史的な暦制度の変遷をダイレクトに反映する行事と言えるでしょう。
旧暦についてもっと詳しく
旧暦とは、日本で明治5年(1872年)まで使われていた「太陰太陽暦」のことを指します。
これは「月の満ち欠け(新月→満月→新月)」を基準に1ヶ月を29日もしくは30日で区切り、1年は12ヶ月(約354日)ですが、2~3年に1度は「閏月(うるうづき)」という13ヶ月目を追加して、季節のずれを太陽の動きに合わせて調整する仕組みです。
文化の名残
睦月・如月・弥生など、旧暦の月ごとの和風月名は、季節や行事、風物にちなんだ美しい呼び名で、今も手紙やカレンダーなどに使われています。
また、年賀状の「初春」や「師走」などの表現も旧暦の文化的名残です。
日本の旧暦の地域的由来と歴史
- 中国からの伝来
旧暦(太陰太陽暦)は、もともと古代中国で考案され、朝鮮半島を経て6世紀ごろ(推古12年/604年頃)、日本に伝わりました。日本書紀にも百済から暦博士を招いた記録が残っています。 - 日本独自の改良と発展
当初は中国暦(元嘉暦・宣明暦)を用いていましたが、江戸時代に渋川春海による「貞享暦」や最末期の「天保暦」など、日本独自の改良暦も作られるようになりました。暦の制定や作成は朝廷の役所(陰陽寮)が担当し、暦と占いは深く結びついていました。 - 新暦(グレゴリオ暦)への改暦
明治5年12月2日を最後に、翌12月3日を新暦(グレゴリオ暦)明治6年1月1日に定め、明治政府が一斉に新暦へ移行しました。このスピード改暦は、西洋化政策や国際標準化の一環として行われた歴史的大転換です。

音楽家:朝比奈幸太郎
神戸生まれ。2025 年、40 年近く住んだ神戸を離れ北海道・十勝へ移住。
録音エンジニア五島昭彦氏より金田式バランス電流伝送 DC 録音技術を承継し、
ヴィンテージ機材で高品位録音を実践。
ヒーリング音響ブランド「Curanz Sounds」でソルフェジオ周波数音源を配信。
“音の文化を未来へ”届ける活動を展開中。