今さら聞けないイスラム教のはじまり

イスラム教とはどんなイメージですか?

八百万の神々であり多神教の日本からはかなり遠い概念であり、あまり身近に感じる人は少ないのではないでしょうか?

在日ムスリム(イスラム教信者のこと)を研究する早稲田大学の店田廣文名誉教授らの調査によると、推計で20万人を超えているそうです。

世界の信者数

もちろん世界を見渡せば全世界に14億人以上の信者を誇ります。

宗教 推定信者数(億人)
キリスト教 23.8
イスラム教 19.6
ヒンドゥー教 15.1
仏教 5.2

1999年には全国で15カ所だった礼拝所「モスク」も、2021年3月には113カ所まで増えたそう。

2021年のの調査では23万人のムスリムが日本で暮らしているそうです。

日本ではなじみの薄かったムスリムだが、もはや私たちの隣人になりつつある。多様化が進む社会の中で、共生を考えていく必要がある

イスラム文化を研究する岡井宏文・京都産業大准教授

筆者がイスラム教文化に興味を持ったのは、共生のための準備というわけではありません。

興味を持ったポイント

  • スティーブ・ジョブズが愛したカリグラフィーが美しい。
  • キリスト、ユダヤに比べて知識が乏しく学びたい。
  • コーランを原語で読みたい。
  • 一神教の感覚を知りたい。

というものでした。

特に、キリスト教やユダヤ教は同じ旧約聖書の元形成された宗教であり、イスラム教もまた同じなのです。

旧約聖書

旧約聖書+新約聖書=キリスト教。
旧約聖書+タルムード=ユダヤ教。
旧約聖書+コーラン=イスラム教。

このような形になっているわけであります。

また、コーランというイスラム教の経典は他の翻訳されている新約聖書やタルムードなどに比べて、原語、つまりアラビア語で読まないとコーランとは呼ばないと明確に規定されています。

これは、何か効果があるとかないとかスピリチュアルな話をしているのではありません。

そういう問題ではなく、単にコーランを読むためにはアラビア語を学ぶ必要があるということなのです。

アラビア語を学ばないとコーランは読めないよという当たり前なんですが、非常に文化価値の高い概念がそこにあるというわけなんですね。

これは、詩こそ最高のアートであると定義したイスラム教文化の美しさがよく表現されていると思います。

そんなイスラム教の文化を音楽家であり、宗教文化研究科の朝比奈幸太郎が「いまさら聞けないイスラム教」と題してわかりやすく明瞭に解説していきます。

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記事を書いた人朝比奈幸太郎
音楽家, ピアニスト, Curanz Sounds 代表
この世界に愛と調和の周波数を届けるため古代に失われた音の叡智を研究
あなたの心に、愛と調和を創造するCuranz Sounds
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イスラム教のはじまり

イスラム教は、7世紀初頭にアラビア半島で誕生しました。

宗教の創始者である預言者ムハンマド(マホメット)は、570年頃にメッカで生まれました。

幼少期に両親を失い、6歳で孤児になりました。

祖父や叔父の元で育ちました。

成人後、商人として働いていました。

後の妻となる女性の元で働いていたと言われています。

彼は定期的にヒラという名前の洞窟に身を潜め、数日間の祈りの夜を過ごしています。

彼が40歳の時に洞窟の中で大天使存在であるガブリエルの訪問を受け、神からの最初の啓示を受けました。

ムハンマドは613年からこれらの啓示を公開。

「神は一つである」こと、神への完全な「服従」(イスラーム)が正しい生き方(ディーン)であることを示し、自身は預言者であり、神の使者であることを宣言しました。

これがイスラム教の始まりとなります。

注意

イスラム教では唯一神アッラーはもちろんのこと、預言者であっても、顔やイメージ画像を描くことを禁止しています。
これは偶像崇拝を避けるためであり、経典に書かれる他のすべての預言者も同様に禁止されているため、注意してください。

瞑想中の閃光体験は他の覚醒者にもみられる現象ですし、天使の訪問というのは、古来から旧約聖書でも書かれていることになります。

ムハンマドは預言者の中でも最後の預言者とされており、ユダヤにおけるモーセなども預言者の一人です。

そのため、イスラム教では、ユダヤ教徒もキリスト教徒も同じアッラーを信仰する啓典の民と呼んでいるわけです。

以下に預言者のすべてを書き出してみます。

ユダヤ教やキリスト教と同じであることがわかると思います。

預言者の名前 推定年代(紀元前/紀元後)
アダム 不明
ノア 紀元前2700年頃
アブラハム 紀元前2000年頃
イスマエル 紀元前1900年頃
イサク 紀元前1900年頃
ヤコブ 紀元前1800年頃
ヨセフ 紀元前1700年頃
モーセ 紀元前1400年頃
ダビデ 紀元前1000年頃
ソロモン 紀元前950年頃
ヨナ 紀元前800年頃
イエス 紀元前4年頃
ムハンマド 紀元570年 – 632年

六信五行

六信 説明
アッラー(神) 唯一絶対の神、アッラーを信じること。
天使 アッラーの使者としての天使を信じること。
聖典 アッラーの啓示を含む聖典を信じること。
預言者 アッラーの啓示を伝える預言者を信じること。
来世 死後の来世と審判を信じること。
運命 すべての出来事がアッラーの定めた運命であることを信じること。
五行 説明
信仰告白(シャハーダ) アッラーの他に神はなく、ムハンマドはその使徒であると宣言すること。
礼拝(サラート) 1日5回、メッカに向かって礼拝を行うこと。
断食(サウム) ラマダーン月に日の出から日没までの断食を行うこと。
喜捨(ザカート) 財産の一部を貧しい人々に分け与えること。
巡礼(ハッジ) 生涯に一度はメッカへの巡礼を行うこと。

これらの6つを信じること、そして5つの守るべきことを実行する。

これが大切な教えであるとされています。

クルアーン(コーラン)第47章 ムハンマド章 第19節をみてみましょう。

بِسْمِ اللَّهِ الرَّحْمَٰنِ الرَّحِيمِ
فَاعْلَمْ أَنَّهُ لَا إِلَٰهَ إِلَّا اللَّهُ وَاسْتَغْفِرْ لِذَنبِكَ وَلِلْمُؤْمِنِينَ وَالْمُؤْمِنَاتِ ۗ وَاللَّهُ يَعْلَمُ مُتَقَلَّبَكُمْ وَمَثْوَاكُمْ
アッラーの御名において慈悲深く慈愛に満ちた御方 あなたは知りなさい、アッラーの他に神はない。
あなたの罪のために、また信者の男と女のために赦しを請いなさい。アッラーはあなたがたの動静と住むところを知っておられる。

クルアーン(コーラン)第47章 ムハンマド章 第19節

この節は、ムハンマドが唯一神アッラーを信じることを強調し、自身の罪と信者のために赦しを求めるように指導しているものです。

イスラム教における天使の数々

天使の名前 役割
ジブリール(ガブリエル) 神の啓示を預言者に伝える天使。クルアーンの啓示をムハンマドに伝えたとされる。
ミーカーイール(ミカエル) 自然界を管理し、雨や植物の成長を司る天使。人々に恵みをもたらす。
イスラフィール(ラファエル) 終末の日にラッパを吹き鳴らし、死者を復活させる天使。最後の審判を告げる役割を持つ。
アズラーイル(アズラエル) 死の天使として、人々の魂を取り上げる役割を担う。死の瞬間に魂を引き取る。
マリク 地獄の守護者であり、罪人を罰する天使。地獄(ジャハンナム)の管理を行う。
リドワーン 天国の守護者。天国(ジャンナ)の門を守る。
ムンカールとナキーール 墓で人々を試す天使。死後、墓で信仰を問う審問を行う。
ハーフィザ 各人の行動を記録する天使。善行と悪行を記録する二人の天使から成る。
カリーマンとカーティビーン 各人の右肩と左肩に位置し、善行と悪行を記録する天使。カリーマンが善行を、カーティビーンが悪行を記録する。

クルアーンと旧約聖書の違い

例えば有名なアダムとイヴの物語においても、イスラム教とユダヤ教の両方で重要な位置を占めていますが、詳細や解釈にはいくつかの違いがあります。

以下に、両者の主な違いを解説していきましょう。

ユダヤでは蛇が登場しますが、イスラムではサタンが直々に誘惑しています。

項目 旧約聖書(創世記) クルアーン
創造の順序と方法 アダムは最初に創造され、イヴはアダムの肋骨から創造される。 アダムとイヴは同時に創造されたと解釈されるが、詳細は記されていない。
誘惑者 蛇が誘惑者として登場する。 サタン(イブリース)が誘惑者として登場する。
赦しの概念 アダムとイヴは罪を犯し、その結果としてエデンの園から追放される。赦しについては言及されていない。 アダムとイヴが赦しを求め、アッラーがそれを受け入れるが、地上に送り出される。
罰の詳細 イヴは出産の苦しみが増し、アダムは土地を耕す苦労が増す。蛇は一生地を這い、人々に憎まれる存在となる。 具体的な罰については詳細に記されていないが、地上での生活そのものが試練とされる。

また、ユダヤ教では、イブが最初に主のいいつけを破ったとされていますが、イスラムではそのような記述はありません。

ユダヤ教では肋骨から作られたイブですが、イスラム教では詳しい記述はありません。

ただし、一部のハディースやイスラムの伝承では、イヴがアダムの体の一部、特に肋骨(または腰)から創造されたという記述が存在します。

この辺りは、ユダヤ教がいかに男尊女卑の思想を民族内で定着させたいか?という思惑を感じ取ることができますね。

アダムとイブに原罪はない

ここはキリスト教との大きな違いでありキリスト教で使徒パウロが広めたマーケティングを根底から覆すことになるため、キリスト教としては認めるわけにはいきません。

【イエス&ソクラテス】哲学二大巨頭が処刑を受け入れた理由

فَتَلَقَّىٰٓ ءَادَمُ مِن رَّبِّهِۦ كَلِمَٰتٍ فَتَابَ عَلَيْهِۚ إِنَّهُۥ هُوَ ٱلتَّوَّابُ ٱلرَّحِيمُ
すると、アーダムはその主から言葉を授けられ、それによって悔い改めた。
誠に、アッラーは悔い改めを受け入れる御方、慈悲深い御方である。

クルアーン 第2章 雌牛章 第37節

神は人間に原罪を背負わせてはいなかったし、イエスは当然これらを背負って十字架にかかったわけではないという視点がイスラム教にはあるわけです。

そして、ここからがさらに重要なことですが、そもそもイエスは十字架にはかかっていないとされているのがイスラム教の教えであります。

イエス(イーサー)が磔の刑を逃れた件は「身代わりを申し出た弟子の顔をアッラーがイーサーに似せて見せた」とされています。

وَقَوْلِهِمْ إِنَّا قَتَلْنَا ٱلْمَسِيحَ عِيسَى ٱبْنَ مَرْيَمَ رَسُولَ ٱللَّهِ وَمَا قَتَلُوهُ وَمَا صَلَبُوهُ وَلَـٰكِن شُبِّهَ لَهُمْۗ وَإِنَّ ٱلَّذِينَ ٱخْتَلَفُوا۟ فِيهِ لَفِى شَكٍّۢ مِّنْهُۚ مَا لَهُم بِهِۦ مِنْ عِلْمٍ إِلَّا ٱتِّبَاعَ ٱلظَّنِّۚ وَمَا قَتَلُوهُ يَقِينًۢا
そして、彼らは「私たちはマリアの息子、メシア、アッラーの使徒イエスを殺した」と言った。
しかし、彼らは彼を殺さず、十字架にかけなかった。ただ彼に似せられただけであった。そして、この事に関して意見を異にする者たちは、確かにそれについて疑っている。彼らにはこれについての知識がなく、ただ推測に従っているだけである。彼らは確かに彼を殺さなかった。

クルアーン 第4章 婦人章 第157節

イエスはその後120歳(112歳という説あり)までカシュミールに移住し生きたとする説もありますが、イスラム教では生きたままアッラーに引き上げられたとされています。

بَل رَّفَعَهُ ٱللَّهُ إِلَيْهِۚ وَكَانَ ٱللَّهُ عَزِيزًا حَكِيمًا(いや、アッラーは彼(イエス)を御許に引き上げられた。アッラーは偉大であり、知恵深い。)これは次の158節に書かれています。

これは非常に興味深いことであります。

例えばイエスの復活のお話や、日本に来たとする都市伝説もありますので、今となってはどれが本当かはわかりませんがみなさんはどう解釈しますか?

新興宗教の役目

新興宗教のおはなしについてはまた別の記事にて紹介しようとは思います。

ただ、ここで少しイスラム教という当時のユダヤ教やキリスト教にとっての新興宗教を考察してみましょう。

なにせキリスト誕生から500年以上もたっているわけですから、今の感覚では考えられない新興宗教です。

日本で言うところの天理教や大本教、黒住教などの神道系ですら200年以内のもの。

ここで注目するべきは、イスラム教の教えそのものが、キリスト教の存在そのものを否定してきているということにあります。

キリスト教はそもそもイエスが原罪を代わりに背負ってくれた・・・というストーリーによって信者を集めてきました。

それが、原罪はアッラーの赦しを得たからそもそもないし、十字架にもかかっていないとなれば、根底からキリスト教の存在を否定することになります。

なぜこんなことが起こるのか?

それが新興宗教の性なのかもしれません。

やはり新しい信仰や宗教に流れてくる信者さんは既存の宗教からの離脱組です。

みな新しい教えや新しい風を求めてやってくるのです。

つまり、流れてきた後は逆流を防ぐために既存の古い宗教に矛盾が生じるように塞いでおく必要があります。

これは実は世界中の様々な宗教でみられることなのです。

カアバ神殿

地獄と楽園の様子

イスラム教にも地獄(ジャハンナム)と楽園(ジャンナ)があり、教義として説かれています。

地獄は、不信仰者や罪深い者に対する罰の場所として描かれています。

そこでは様々な苦痛や苦しみが待ち受けているとされています。

一方で楽園は、信仰深い者や正しい行いをした者に対する報酬の場所として描かれています。

そこには永遠の幸福と平和が待っているとされています。

項目 地獄(ジャハンナム) 楽園(ジャンナ)
場所 不信仰者や罪深い者への罰 信仰深い者や正しい行いをした者への報酬
描写 炎、熱、苦しみ、絶望 美しい庭園、川、豪華な住居、平和
罰/祝福の種類 身体的な苦痛、精神的な苦痛 物質的な豊かさ、精神的な幸福
クルアーンの記述 クルアーン 4:56、37:62-67、43:74-77 クルアーン 47:15、25:75-76、56:25-26
ハディースの記述 地獄の詳細な描写と罰の種類 楽園の詳細な描写と祝福の種類

地獄の描写に関してはユダヤ教は一番緩いと言えます。

なにせ最大12ヶ月の後に抜けられるわけです。

一方でキリスト教は永遠です。

イスラムも基本的には永遠です。

「不信仰者たちに告げなさい、地獄の火は彼らのために用意されている。彼らはそこに永遠に留まるであろう。」(クルアーン 2:81)

「しかし、主の慈悲がかかる者は、地獄から救われる。」(クルアーン 6:128)ともあり、スンニ派とシーア派は救いがあると解釈しています。

スンニ派: 多くのスンニ派学者は地獄の永続性を支持しますが、一部の罪人が神の慈悲によって最終的に救われる可能性も考慮しています。

シーア派: シーア派も地獄の永続性を強調していますが、特定の状況下での赦しを認める解釈も存在します。

なにせイスラムの神アッラーはキリストでは未来永劫原罪として背負わされたはずのアダムとイブの罪を赦しているわけです。

おそらくこれは、長い歴史の中で救いがあった方が何か失敗したときにリカバリーしやすいというコーディネートの一種なのではないかと思います。

そのあたり仏教はもっとも赦しが多いといいますか、再起することを認めています。

アングリマーラの例を見れば一目瞭然。

この物語は、どれほどの悪行を行った者でも、真の悔悟と正しい教えを受け入れることで救われる可能性があることを示しています。

神が定めた命の真実

イスラム教を理解するためには、定命(アル・カダー)という概念を知る必要があります。

アルカダーはイスラム教における「神の定め」や「神の命令」を意味します。

すべての出来事や運命が、アッラー(神)の意志によって予め決められているという信仰です。

アッラーは全知全能であり、過去・現在・未来のすべてを知っているとされています。

したがって、すべての出来事はアッラーの計画に基づいています。

クルアーンとハディースの教え

  • クルアーン:
    • 「地上に起こるどんな災いも、あなたがた自身に起こることも、われわれがそれを創造する前に書物(宇宙の原型)に記されていないものはない。それはアッラーにとって容易である。」(クルアーン 57:22)
    • 「アッラーの許しなしに一つの魂も死ぬことはない。定められた期限がある。」(クルアーン 3:145)
  • ハディース:
    • 預言者ムハンマドの言行録でも、定命の概念が強調されています。例えば、預言者ムハンマドは、「すべての者の運命は母の胎内において定められている」と述べています。

ハディース(Hadith)とは?

イスラム教において預言者ムハンマドの言行録を指します。

ハディースはクルアーンと並んでイスラム教の重要な教義や法の源泉となっています。

ハディースは以下の二つの主要な部分で構成されています。

  1. マトン(Matn): ハディースの本文であり、実際の内容や言葉です。
  2. イスナード(Isnad): ハディースの伝承者の連鎖であり、預言者ムハンマドからその言行がどのように伝えられたかを示します。

ハディースは、その信憑性に基づいていくつかのカテゴリーに分類されます。

  1. サヒーフ(Sahih): 非常に信頼できるとされるハディース。
  2. ハサン(Hasan): サヒーフほどではないが、信頼できるとされるハディース。
  3. ダーイーフ(Da’if): 信憑性が低いとされるハディース。

ハディースはその内容に基づいても分類されます。

  1. クドゥシー(Qudsi): 神から預言者ムハンマドに直接伝えられた言葉を含むハディース。
  2. マルフー(Marfu’): 直接預言者ムハンマドに遡るハディース。
  3. マウクーフ(Mawquf): 預言者ムハンマドの仲間(サハバ)の言行に関するハディース。

イスラム教の主要なハディース集は以下の通りです。

これらは特に信頼性が高いとされ、多くのイスラム教徒によって尊重されています。

  1. サヒーフ・アル=ブハーリー(Sahih al-Bukhari): イマーム・ブハーリーによって編纂された最も信頼性の高いハディース集。
  2. サヒーフ・ムスリム(Sahih Muslim): イマーム・ムスリムによって編纂されたハディース集。
  3. スンナ・アブー・ダーウード(Sunan Abu Dawood): アブー・ダーウードによって編纂されたハディース集。
  4. スンナ・アッ=ティルミズィー(Sunan at-Tirmidhi): アッ=ティルミズィーによって編纂されたハディース集。
  5. スンナ・アン=ナサーイー(Sunan an-Nasa’i): アン=ナサーイーによって編纂されたハディース集。
  6. スンナ・イブン・マージャ(Sunan Ibn Majah): イブン・マージャによって編纂されたハディース集。

定命の理解と解釈

では、神の定めた人生観の話に戻りましょう。

解釈としては自然災害と人生を分けることができます。

そこには人の自由意志という概念があり、神から自由意志が与えられているというものです。

人間は行動を選択に責任を持ちそれに基づき報いを受けるというものです。

また、努力以上のものは受け取れないという努力を推奨する教えが機能しています。

例えば人生で起こる困難や試練はアッラーの定めであるため受け入れなければいけません。

これはある種の救いになると言えますよね。

そして成功や恵みもアッラーの定めであります。

ここで気になる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

つまりそもそも神は内側にいるのか、外側にいるのかで同じ一神教でもその真理は違ってきます。

イスラムでは明確に内側にいるという教えはありませんが、それを感じさせるものを探してみました。

オリジナルのアラビア語 カタカナでの読み方 日本語訳 出典
إِنَّ اللَّهَ لَا يَنْظُرُ إِلَى صُوَرِكُمْ وَأَمْوَالِكُمْ وَلَكِنْ يَنْظُرُ إِلَى قُلُوبِكُمْ وَأَعْمَالِكُمْ インナ アッラハ ラー ヤンヅル イラー スワリクム ワ アムワリクム ワ ラキン ヤンヅル イラー クルービクム ワ アアマーリクム アッラーはあなたがたの外見や財産を見るのではなく、あなたがたの心と行いを見られる。 サヒーフ・ムスリム
وَجَعَلَ الْإِيمَانَ زِينَةً فِي قُلُوبِهِمْ وَكَرَّهَ إِلَيْهِمُ الْكُفْرَ وَالْفُسُوقَ وَالْعِصْيَانَ ワ ジャアラ アル=イーマーン ズィーナタン フィー クルービヒム ワ カラハ イライヒム アル=クフル ワ アル=フスーク ワ アル=イシヤーン アッラーは信仰を彼らの心の中に美しくし、不信仰、逸脱、反逆を嫌わせる。 サヒーフ・アル=ブハーリー

これは解釈が難しいですが、神の存在が内にあると考えることができるのではないかと個人的には解釈しています。

そして、信仰告白というムスリムになるための儀式では、アッラーへの信仰を唱えて入信となるわけです。

オリジナルのアラビア語 カタカナでの読み方 日本語訳
لَا إِلَٰهَ إِلَّا ٱللَّٰهُ وَمُحَمَّدٌ رَسُولُ ٱللَّٰهِ ラー イラーハ イッラッラー ワ ムハンマドゥン ラスールッラー アッラーの他に神はなく、ムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します。

「他に」: アラビア語の「إِلَّا」(イッラ)は「~を除いて」「~以外に」という意味を持ち、排他的な意味を強調します。

この文脈では、「アッラーの他に真の神は存在しない」という意味になります。

「外に」という漢字で翻訳する書籍もありましたが、 アラビア語の「خَارِج」(ハーリジ)は空間的な意味を持ち、「外に」「外側に」という意味になります。

この文脈では使用されません。

外という漢字を意図的に使用するというのは、やはり神は内側に存在すると解釈した人の意見であると言えます。

筆者も基本的にはアッラーは内側にいると解釈していますので、他にという漢字を使ったとしても、「あなたの外にはいない」という解釈をしています。

かなり拡大解釈のようにも思われるかもしれませんが、定命の概念を理解する上で、神は内側に一神教として存在し、その他、つまりあなたの外には存在しないとすることで矛盾を防ぐことに繋がります。

このような解釈の元だと、筆者が他の記事でも言っているように、内側に存在する神が世界を創る・・・という古今東西世界的な主要な宗教の共通項としての創世記を語ることにつながるわけです。

ザカート(施し)とラマダン(断食月)

イスラム文化における重要な柱となります。

ザカート(زكاة)は、イスラム教における施しの義務であり、信者がその富を浄化し、社会的な正義を促進するための手段です。

これは信仰の表現であり、信者がアッラーの恩恵に感謝し、その富を浄化する手段です。

通常、貯蓄や資産の2.5%がザカートとして支払われます。ただし、資産の種類や状況によって異なることがあります。

ザカートの受益者は以下の8種類の人々に限られます(クルアーン 9:60)。

  1. 貧しい人々(フカラ)
  2. 困窮している人々(マサキーン)
  3. ザカートを集めるために働く者
  4. 信仰を新たにする人々
  5. 奴隷の解放に使われる
  6. 借金を抱えている人々
  7. アッラーの道(ジハード)に従事する者
  8. 旅行者(旅の途中で困難に陥った人々)

ラマダン(رمضان)は、イスラム暦の第9月であり、イスラム教徒が断食(サウム)を行う月です。

ラマダンの月の間、日の出から日没までの間、食べ物と飲み物を摂らないことが求められます。また、喫煙や性的行為も禁止されます。

日没後には「イフタール」と呼ばれる食事で断食を破り、夜明け前に「スフール」と呼ばれる食事を摂ります。

ラマダン中の旅行を避けたい場合

ラマダン中の旅行を避けたいですよね。

イスラム暦は太陰暦(ヒジュラ暦)であり、太陽暦(グレゴリオ暦)とは異なります。

そのため、イスラム教のラマダン(断食月)やその他の宗教行事は毎年約11日ずつ前倒しされます。

具体的な月は毎年変わるため、以下の情報を参考にしながら出発前に必ず確認してから行ってください。

年 (西暦) 開始日 (西暦) 終了日 (西暦)
2025 2025-02-28 2025-03-29
2026 2026-02-17 2026-03-18
2027 2027-02-07 2027-03-08
2028 2028-01-27 2028-02-26
2029 2029-01-15 2029-02-14
2030 2030-01-05 2030-01-25
2031 2030-12-26 2031-01-15
2032 2031-12-15 2031-12-25
2033 2032-12-04 2032-12-24
2034 2033-11-23 2033-12-14
2035 2034-11-12 2034-12-03
2036 2035-11-01 2035-11-22
2037 2036-10-21 2036-11-10
2038 2037-10-10 2037-10-30
2039 2038-09-29 2038-10-19
2040 2039-09-18 2039-10-08

多神教否定とその時代

クルアーン 第28章 物語章 第87-88節

アラビア語 カタカナ 日本語訳
第87節 وَلَا يَصُدُّنَّكَ عَنْ آيَاتِ ٱللَّهِ بَعْدَ إِذْ أُنزِلَتْ إِلَيْكَ ۖ وَٱدْعُ إِلَىٰ رَبِّكَ ۖ وَلَا تَكُونَنَّ مِنَ ٱلْمُشْرِكِينَ ワラ ヤスッドゥンナカ アン アーヤーティッラーヒ バアダ イズ ウンジラト イライカ ワッヅウ イラ ロッビカ ワラ タクーナンナ ミナ ルムシュリキーン 「アッラーの印があなたに啓示された後、それを否定する者たちによって、あなたがそれに背を向けることがないようにしなさい。そして、あなたの主に呼びかけなさい。あなたは多神教徒の仲間になってはならない。」
第88節 وَلَا تَدْعُ مَعَ ٱللَّهِ إِلَٰهًا ءَاخَرَ ۘ لَآ إِلَٰهَ إِلَّا هُوَ ۚ كُلُّ شَىْءٍ هَالِكٌ إِلَّا وَجْهَهُۥ ۚ لَهُ ٱلْحُكْمُ وَإِلَيْهِ تُرْجَعُونَ ワラ タドゥ マアッラーヒ イラーハン アーカラ ラー イラーハ イッラーフ ワジュフ クッル シャイイン ハーリクン イッラ ワジュフ ラフ ルフクム ワイライヒ トゥルジャウン 「アッラーと共に他の神を呼び求めてはならない。彼の他に神はない。すべてのものは滅びるが、彼の顔だけは永遠である。判断は彼に属し、あなた方は彼に帰される。」

ムハンマドが啓示を受ける以前のアラビア半島の時代を少しみていきましょう。

アラビア半島は、北はシリア、東はペルシャ湾、南はアラビア海、西は紅海に囲まれた広大な砂漠地帯です。

気候は非常に乾燥しており、オアシスやわずかな水源を中心に人々が生活していました。

部族社会

アラビア半島は、多くの独立した部族が存在する部族社会でした。

各部族は血縁関係に基づいて結束しており、強い団結力を持っていました。

部族同士はしばしば資源を巡って争いましたが、共通の敵に対しては協力することもありました。

経済

アラビア半島は東西を結ぶ交易路の要所であり、キャラバン貿易が盛んでした。

メッカやヤスリブ(後のメディナ)は交易の中心地として栄え、香料や乳香などが主要な交易品でした。

宗教観

多くの部族がそれぞれ独自の神々を信仰し、神殿で崇拝していました。

メッカにあるカーバ神殿は、アラビア全土の宗教的中心地で、多くの神々が祀られていました。

毎年、多くの巡礼者がカーバを訪れていました。

南部のイエメン地方や北部の一部地域には、ユダヤ教を信仰するコミュニティがありました。

また、北部にはキリスト教徒も存在し、ビザンチン帝国の影響を受けていました。

当時は多くの部族は遊牧生活を営んでおり、羊やラクダを飼育して生活していました。

オアシスや季節的な雨に依存して移動する生活でした。

一部の地域では農業が行われ、定住生活を営む人々もいました。

政治体制

各部族は部族長(シャイフ)によって統治されていました。

シャイフは部族内の問題を調停し、部族を代表して他の部族と交渉しました。

部族間の対立を緩和するために、連合や同盟が結ばれることもありました。

忌まわしい風習

ムハンマド以前のアラビア社会には、忌まわしい風習も存在していました。

その一つが、女児の生き埋めです。

貧困や部族間の競争から、女児が生まれると家族の負担になると考えられ、生まれたばかりの女児を砂漠に生き埋めにする風習がありました。

この風習は、ムハンマドがイスラム教を広める際に厳しく非難され、廃止されることとなりました。

こういった背景があり、ムハンマドの教えは社会がよりよくなるため、当時の若者を中心に一気に広がっていったわけです。

聖職者のいない宗教

イスラム教には他の宗教に見られるような正式な聖職者階級がないため各信徒が自らの信仰を直接アッラーに捧げる責任を持ちます。

神との関係は個人的なものであり、仲介者を必要としません。

信徒はクルアーンとハディースを直接学び、理解しようと努めます。

宗教指導者はあくまでガイド役であり、信徒自身の学びが重視されます。

しかし、宗教的な指導者や学者の役割を果たす人々は存在します。

これらの人物は公式な聖職者ではなく、宗教的な知識や教育に基づいてコミュニティに奉仕する存在です。

役職 役割 資格 地位
イマーム(Imam) モスクで礼拝を導く。金曜日の集団礼拝やその他の宗教行事で指導。 宗教教育を受け、クルアーンやハディースに精通していること。 信徒の中から選ばれ、その信仰心と知識によって尊敬される。
ムフティー(Mufti) イスラム法(シャリーア)に基づいて法的見解(ファトワ)を出す。 深い宗教知識と法学的な教育を受けていること。 見解は尊重されるが、法的に拘束力はなく、個人やコミュニティの判断に委ねられる。
ウラマー(Ulama) イスラム学者の総称で、宗教教育、法学、神学など幅広い分野で指導的役割を果たす。 長年の宗教教育と訓練を受けること。 信徒から尊敬され、その知識と見識に基づいて相談や指導を行う。
カーディー(Qadi) イスラム法に基づいて司法判断を行う裁判官。 深い法学的知識と宗教教育を持つこと。 法的な決定権を持ち、イスラム法に基づいて裁判を行う。

とある宗教団体では聖職者による性犯罪が多いとも聞きますから聖職者の設置はイスラム教では改良されているというわけですね。

女性の服装の真実

肌の露出を極端に少なくした服装をきているイメージがありますよね。

クルアーン第24章「御光章(アル・ヌール)」第31節は、特にイスラム教における女性の服装と行動に関する教えが記されています。

アラビア語

وَقُل لِّلْمُؤْمِنَاتِ يَغْضُضْنَ مِنْ أَبْصَارِهِنَّ وَيَحْفَظْنَ فُرُوجَهُنَّ وَلَا يُبْدِينَ زِينَتَهُنَّ إِلَّا مَا ظَهَرَ مِنْهَا ۖ وَلْيَضْرِبْنَ بِخُمُرِهِنَّ عَلَىٰ جُيُوبِهِنَّ وَلَا يُبْدِينَ زِينَتَهُنَّ إِلَّا لِبُعُولَتِهِنَّ أَوْ آبَائِهِنَّ أَوْ آبَاءِ بُعُولَتِهِنَّ أَوْ أَبْنَائِهِنَّ أَوْ أَبْنَاءِ بُعُولَتِهِنَّ أَوْ إِخْوَانِهِنَّ أَوْ بَنِي إِخْوَانِهِنَّ أَوْ بَنِي أَخَوَاتِهِنَّ أَوْ نِسَائِهِنَّ أَوْ مَا مَلَكَتْ أَيْمَانُهُنَّ أَوِ ٱلتَّابِعِينَ غَيْرِ أُو۟لِى ٱلْإِرْبَةِ مِنَ ٱلرِّجَالِ أَوِ ٱلطِّفْلِ ٱلَّذِينَ لَمْ يَظْهَرُوا۟ عَلَىٰ عَوْرَٰتِ ٱلنِّسَآءِ وَلَا يَضْرِبْنَ بِأَرْجُلِهِنَّ لِيُعْلَمَ مَا يُخْفِينَ مِن زِينَتِهِنَّ ۚ وَتُوبُوٓا۟ إِلَى ٱللَّهِ جَمِيعًا أَيُّهَ ٱلْمُؤْمِنُونَ لَعَلَّكُمْ تُفْلِحُونَ

カタカナでの読み方

ワ クルー ッリルムウミナーティ ヤグドゥドゥナ ミン アブサーリヒンナ ワ ヤフファズナ フルージャヒンナ ワ ラー ユブディーナ ズィーナタヒンナ イッラ マー ザハラ ミンハー ワ リャドリブナ ビフムリヒンナ アラー ジュユービヒンナ ワ ラー ユブディーナ ズィーナタヒンナ イッラ リブウラティヒンナ アウ アーバーイヒンナ アウ アーバーイ ブウラティヒンナ アウ アブナーイヒンナ アウ アブナーイ ブウラティヒンナ アウ イクワーニヒンナ アウ バニー イクワーニヒンナ アウ バニー アフワーティヒンナ アウ ニサーイヒンナ アウ マー マラクット アイマーニヒンナ アウィッタービーイーナ ガイリ ウリー イルバティ ミナ リジャーリ アウィッティフリ ラズィーナ ラム ヤズハルー アラー アウラーティンニサーイ ワ ラー ヤドリブナ ビアルジュリヒンナ リユアラマ マー ユフイーナ ミン ズィーナティヒンナ ワ トゥーブー イラッラー ジァミーアン アイユハルムウミノーナ ラアッラクム トゥフリフーナ

日本語訳

「信者の女たちに言いなさい、彼女たちはその目を伏せ、自分たちの貞操を守り、常に現れる以外の部分を見せないようにしなさい。また、彼女たちの胸元にヴェールをかけなさい。彼女たちの装いを夫や父、夫の父、息子や夫の息子、兄弟や兄弟の息子、姉妹の息子、自分たちの女たち、右手が所有する者、性的欲望を持たない従者、または女の隠れた部分を知らない子供たち以外には見せてはなりません。また、隠された装いを知られるために足を地に打ち鳴らしてはなりません。信者たちよ、皆でアッラーに悔い改めなさい。おそらく、あなたがたは成功するでしょう。」

これは当時の女性たちを守るためであったと言われています。

まとめ:世の中をよくするため

いつの世の中も人々を救いを求めて宗教を作り、信仰します。

多神教文化として唯一といっていいほど成功した日本の神道文化は世界的にも本当に稀な文化であると言えます。

通常は他の神様と衝突し争いになるわけです。

西洋や中東における一神教文化というのは争いからの離脱というのが、大きなところであると思います。

じゃあ仏教は一神教なのか?といわれれば、筆者は個人的に一神教であると考えています。

もちろんそれは、アッラーやエロヒムのような存在ではなく、アナートマンとしての一神教です。

イエスはもちろんムハンマドもその他預言者も悟りの段階で釈迦の語ったこの宇宙の真理を知ったはず。

その真理からその時代、地域ごとの情勢や状況に合わせてコーディネートしていく。

これが地域の宗教文化であると言えるわけです。

そういう意味でも宗教文化を研究することは芸術を研究することであり、宇宙の真理を探ることであり、私たち人間が考えるということを促すためでもあるわけで、非常に高尚な学問であると言えます。

この記事がみなさんにとってイスラム文化を知る入り口になってくれることを願って。

朝比奈幸太郎

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