【徹底解説】今さら聞けない旧約聖書のすべて〜世界のはじまり編

世界史を見るためには宗教学を知る必要があります。

宗教学を抜きにして人類史は理解することができません。

その中でも特に地球史のすべてを作ってきたと言っても過言ではない旧約聖書。

しかし、学校ではこの大切な宗教学の授業がありません。

旧約聖書は一般教養の一つではありますが、学校で学べない日本人は知らない人も結構いるんじゃないでしょうか?

この記事では今さら聞けない旧約聖書について。

誰もが一度は知ったかぶりをしてしまった経験があるのではないでしょうか?

今後は大丈夫!

この記事で旧約聖書をマスターしてください。

旧約聖書の基礎知識

取り扱いと解釈が非常に難しいものですが、旧約聖書とは世界の三大宗教の基盤となっているわけであります。

非常にざっくり書いてしますと、次のようになります。

三大宗教の比較

旧約聖書と三大宗教の比較

宗教 概要 聖典 特徴
ユダヤ教 旧約聖書を基盤とし、神ヤハウェとの契約を重視
  • 旧約聖書
  • タルムード
タルムードが旧約聖書の解釈や実践を詳細に説明
キリスト教 イエス・キリストを救世主と信じる宗教
  • 旧約聖書
  • 新約聖書
新約聖書が旧約聖書の成就を示す
イスラム教 預言者ムハンマドを通じて神から啓示された宗教
  • 旧約聖書(一部)
  • コーラン
コーランが最終的かつ完全な啓示

これを見ただけでもこの世界を創っている概念というのは旧約聖書に凝縮されていると考えるのが自然です。

旧約聖書の概要と書き換え時期

旧約聖書は、39冊の書物から成り立っています。

これらは、歴史書、詩歌、預言書に分類されます。

ただし、知っておくべきことは、バビロン捕囚時代に書き換えられたとされている点。

バビロン捕囚(バビロニア捕囚)は、紀元前586年にユダ王国が新バビロニア帝国(カルデア帝国)に滅ぼされ、多くのユダヤ人がバビロン(現在のイラク)に連れ去られた出来事を指します。

この期間は、紀元前586年から紀元前538年まで続きました。

バビロン捕囚の期間中に、多くの古い伝承や文書が収集され、整理されたとされています。

ユダヤ民族団結の目的もあり、神との契約を意識したもの、つまり選民思想が強化されていったのもこの頃からと言われています。

これらを忘れないようにしながら今日の旧約聖書を紐解いていく必要があります。

旧約聖書は大きく分けると4つのジャンルに分けることができます。

モーセが書いたと言われている創世記と律法である「モーセ五書」。

ユダヤ王国の成り立ちや多くの人物が登場する「歴史書」。

詩や格言などの「詩歌書」。

救世主の到来と世界の終末に関する「預言書」です。

旧約聖書は、キリスト教においては新約聖書とともに聖典とされていますし、ユダヤ教においては最も重要な宗教文書となっています。

イスラム教においても、旧約聖書の預言者たちは尊重されています。

旧約聖書の世界

それではここから旧約聖書の内容をみていきましょう。

創世記(Genesis)

神は6日間で世界を創造し、7日目に休みました。

この物語は、創造の秩序と神の全能性を強調しています。

どのような7日間だったのでしょうか。

  • 第1日: 光の創造。「神は『光あれ』と言われた。すると光があった。」(創世記1:3)
  • 第2日: 大空の創造。水を分けて天と地を形成。
  • 第3日: 陸地と植物の創造。海と陸を分け、地に植物を生やす。
  • 第4日: 天体の創造。太陽、月、星を創造し、時間を分ける。
  • 第5日: 魚と鳥の創造。海の生物と空の鳥を創造。
  • 第6日: 動物と人間の創造。「神は自分のかたちに人を創造された。」(創世記1:27)
  • 第7日: 休息。神は創造を終え、7日目を祝福して聖別。

創世記とエデンの園では、人間の創られ方が違っているわけです。

創世記1章では、男と女が同時に創造されたことを示唆していますが、具体的な順序や方法については触れていません。

一方、創世記2章では、アダムが最初に創造され、その後にイブがアダムの肋骨から創造されたことが詳細に描かれています。

これにより、二つの異なる創造記述が存在し、それぞれ異なる側面を強調しています。

つまり、創世記1章は、宇宙と人間の創造の全体像を描き、神の全能性と秩序を強調しているのに対して、創世記2章は、特に人間と神との関係、そして男女の関係に焦点を当て、より詳細な説明を提供しています。

この2章の解釈からユダヤ教の一部の解釈では、男尊女卑の価値観が生まれています。

ここからは私見ですが、やはり第二章はバビロン捕囚時代にユダヤ人たちが書き加えたものではないかと思いました。

肋骨を一本取りという極めて人間的な感覚でありますし、「女性」を男性の付属のようなストーリーを描くことによってそういうコミュニティー、社会を形成していったとも言えます。

エデンの園と人類の堕落(創世記2:4-3:24)

神はエデンの園にアダムを地の塵から創造し、彼をエデンの園に置きました。

神は、「人が一人でいるのは良くない。彼にふさわしい助け手を造ろう」と言われました。

そこで、神はアダムの肋骨の一つを取り、それを使ってイブを創造したとされています。

神は「孤独」は良くないといっているのでしょうか。

禁断の実を食べた理由

創世記の第3章では、アダムとイブがエデンの園で禁断の木の実を食べる場面が描かれています。

これは神から固く禁じられていた行為であり、それを破ってしまったために、エデンの園から追放されることになるわけです。

しかし、なぜアダムとイブは禁断の実を食べたのでしょうか?

彼らが禁断の実を食べた理由には、いくつかの要素があります。

蛇の誘惑(創世記3:1-5)

  • 蛇は非常に狡猾な生き物として描かれ、イブに禁断の木の実を食べるように誘惑します。
  • 蛇は、「あなたがたはそれを食べても決して死ぬことはない。むしろ、それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを神は知っているのだ。」と言いました。

イブの反応(創世記3:6)

最初に禁断の実を食べたのはイブ(女性)でした。

  • イブは禁断の木の実を見て、「それが食べるに良く、目に慕わしく、賢くするために好ましいと思った」ため、実を取って食べました。
  • 彼女はその実をアダムにも与え、彼もそれを食べました。

禁断の実とは何か

禁断の実(善悪の知識の木の実)

  • 禁断の実とは、「善悪の知識の木の実」のことです。神はアダムにこの木の実を食べることを禁じました(創世記2:16-17)。
  • 「善悪の知識の木の実」を食べることは、神が定めた制限を超え、自分自身の判断で善悪を知ろうとする行為を象徴しています。

ここは非常に興味深い内容になっています。

神の命令に従うか、自分の判断で行動するかを選ぶ自由がアダムとイブに与えられていました。

禁断の実を食べることで、アダムとイブは神の命令に背き、神に対して罪を犯したとされています。

ここが新約聖書にも繋がってきます。

使徒パウロがキリスト教のマーケティングの際に「イエスは私たちの原罪(禁断の実を食べる)をも引き受けて十字架にかかった」というフレーズにつながってくるのです。

旧約聖書では、禁断の実を食べた結果、彼らは楽園を追放されることになり、人間たちには労働と苦痛が伴う生涯が与えられたとされています。

禁断の実を食べた結果(創世記3:7-24)

目が開かれる(創世記3:7)

  • アダムとイブの目は開かれ、自分たちが裸であることに気付きました。彼らはイチジクの葉を縫い合わせて腰を覆いました。

神との対話(創世記3:8-13)

  • 神が園を歩く音を聞いて、アダムとイブは神から隠れました。
  • 神は彼らが禁断の実を食べたことを知り、彼らにその理由を問いただしました。

罰(創世記3:14-19)

ここで神から罰が与えられることになるわけです。

出産が苦しいのはこの罰によるものであるとされています。

  • 蛇: 他の全ての獣の中で呪われ、腹で進み、塵を食べることになる。
  • イブ: 出産の苦しみが増し、夫に支配されることになる。
  • アダム: 土地が呪われ、彼は一生の間苦労して食べ物を得ることになる。

ここで考察するべきは蛇とはなにか?

なぜアダムとイブに話しかけることができたのか?つまり誘惑が可能だったか?ということです。

蛇はしばしば悪魔やサタンの象徴として解釈されます。

新約聖書の黙示録(12:9、20:2)では、サタンが「古い蛇」と呼ばれています。

これにより、蛇が神に対抗する存在であることが示唆されます。

スピリチュアル的に考察すると、これがレプタリアンであるという視点があります。

レプタリアンは蛇型の宇宙人であり、私見ですが、神が楽園を創ろうとしているところを邪魔しにきた・・・と考えられます。

後世の新約聖書の中で悪魔として考えられるものが共通してレプタリアンであると考えると、実は意外とストーリーはスムーズに進むことに驚くことでしょう。

また、禁断の実とはりんごのことであるという誤解があるかと思いますが、実は禁断の実がりんごであるという具体的な記述は聖書にはありません。

しかし、欧米の伝統や美術作品では、禁断の実がりんごとして描かれることが多いです。

これはラテン語の「malus」が「悪」と「りんご」を意味することに由来する可能性がありますが諸説あるので注意してください。

アダムとイブの追放後の生活

エデンの園からの追放後(創世記3:23-24)

エデンの園から追放されたアダムとイブは、園の東にある地に住みました。神はケルビムと炎の剣を置き、命の木への道を守らせました。

  • 「それで主なる神は人をエデンの園から追い出して、その地を耕させた。彼は人を追い出し、命の木への道を守るために、エデンの園の東にケルビムと回る炎の剣を置いた。」

カインとアベルの誕生(創世記4:1-2)

アダムとイブは、エデンの園を追放された後、カインとアベルを生みました。

創世記には具体的な年齢や時期についての記述はありませんが、彼らは追放後に地上で普通の生活を送り、子供をもうけたことがわかります。

「彼女は身ごもってカインを産み、『私は主の助けを得て男子を得た』と言った。彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊飼いとなり、カインは農夫となった。」

(創世記4:1-2)

年齢と時期に関する情報

聖書には、アダムとイブが具体的に何歳の時にカインとアベルを生んだかについての明確な記述はありません。

ただし、創世記5章によれば、アダムは130歳の時にセトを生んでいます。

セトはカインとアベルの後に生まれているので、カインとアベルが生まれた時期はこれ以前と考えられます。

「アダムは130歳になった時、自分のかたちに似せて、自分のかたちに造られた息子をもうけ、彼をセトと名付けた。」

創世記5:3:

ここからカインとアベルの物語にいきましょう。

カインは農夫、アベルは羊飼いとなり、それぞれの仕事に従事しました。

エデンの園の外での生活は、エデンの園での無垢な生活とは対照的に、労働と苦痛を伴うものでした。

カインとアベルの物語(創世記4:1-16)

カインは農夫となり、アベルは羊飼いとなりました。

あるとき、カインとアベルはそれぞれ神に献げ物を捧げました。

しかし、神はアベルの献げ物を受け入れ、カインの献げ物を受け入れませんでした。

  • カインの献げ物: カインは地の産物を神に捧げました。
  • アベルの献げ物: アベルは羊の初子とその脂肪を神に捧げました。
  • 神の反応: 「主はアベルとその献げ物とを顧みられたが、カインとその献げ物とは顧みられなかった。」

嫉妬と怒り(創世記4:5-7)

カインは神の反応に怒りを感じ、顔を伏せました。

神はカインに警告を与えましたが、カインはその警告を無視しました。

  • カインの反応: 「カインは大いに怒り、顔を伏せた。」
  • 神の警告: 神はカインに言いました。「なぜあなたは怒り、なぜ顔を伏せるのか?もしあなたが正しいことをしているなら、顔を上げなさい。しかし、もし正しくないことをしているなら、罪が戸口に待ち伏せている。それはあなたを求めているが、あなたはそれを支配しなければならない。」

兄弟殺し(創世記4:8)

カインはアベルを野に誘い出し、彼を殺しました。

「カインは弟アベルに言った、『さあ、野に行こう』。

そして彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに向かって立ち上がり、彼を殺しました。

神はカインに弟アベルの所在を問いただしましたが、カインは「カインは言った、『私は知りません。私は弟の番人でしょうか?』」と返答をしました。

神はカインを呪い、地上の放浪者としました。

  • 神の宣告: 神はカインに言いました。「あなたの弟の血が地面から私に叫んでいる。今、あなたは地に呪われている。あなたが地を耕しても、地はもはやあなたにその力を与えない。あなたは地上で放浪者となる。」

カインは「私の罰は重すぎて耐えられません」と言い、誰かに殺されることを恐れました。

神はカインに「カインに手を出す者は七倍の復讐を受ける」と言い、カインにしるしを与えて彼を保護しました。

なぜ神はカインの捧げ物を拒否したのか?

ここで疑問に感じる点が、なぜカインの捧げ物を拒否したのか?というところです。

神ですから、カインの本質を見抜いていたといえばそれまでですが、これも様々な解釈があります。

古典的なユダヤ教の解釈

多くのラビ(ユダヤ教における賢人の称号のようなもの)の解釈によれば、神はカインとアベルの献げ物を拒否した理由は、カインの動機と心の態度にあるとされています。

アベルは最上の羊の初子とその脂肪を捧げたのに対し、カインは地の産物を捧げましたが、その質や量が劣っていた可能性があります。

カインの心の中に真の敬虔さや感謝の気持ちが欠けていたと解釈されています。

キリスト教の解釈

新約聖書のヘブライ人への手紙(ヘブライ11:4)では、「信仰によってアベルはカインよりも優れた供え物を神に捧げた」と述べられています。

これは、アベルの献げ物が神に受け入れられたのは、アベルが真の信仰と敬虔さを持って捧げたからであり、カインの献げ物が拒否されたのは、彼の信仰が欠けていたからだと解釈されています。

セトの誕生とその後の子孫(創世記4:25-5:32)

アダムとイブはアベルを失った後、新しい息子セトをもうけました。

セトはアベルの代わりとして神に祝福されたとされています。

  • セトの誕生: 「アダムは妻エバを知った。彼女は息子を産み、セトと名づけた。『神はアベルの代わりに別の子を私に与えられたからです』と彼女は言った。」(創世記4:25)
  • セトの意義: 「セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名づけた。そのときから、人々は主の名を呼び始めた。」(創世記4:26)

創世記5章では、セトの系譜が詳述されており、アダムからノアまでの世代が記録されています。

ここでアダムの寿命について驚く方も多いかもしれません。

もっとも長生きだったのがメトセラであり、実に969年生きました。

  • アダム: アダムは130歳の時にセトをもうけ、さらに800年間生きて他の息子や娘をもうけました。アダムの総寿命は930年でした。
  • セト: セトは105歳の時にエノシュをもうけ、その後807年間生きて他の息子や娘をもうけました。セトの総寿命は912年でした。
  • エノシュ: エノシュは90歳の時にケナンをもうけ、その後815年間生きて他の息子や娘をもうけました。エノシュの総寿命は905年でした。
  • ケナン: ケナンは70歳の時にマハラルエルをもうけ、その後840年間生きて他の息子や娘をもうけました。ケナンの総寿命は910年でした。
  • マハラルエル: マハラルエルは65歳の時にヤレドをもうけ、その後830年間生きて他の息子や娘をもうけました。マハラルエルの総寿命は895年でした。
  • ヤレド: ヤレドは162歳の時にエノクをもうけ、その後800年間生きて他の息子や娘をもうけました。ヤレドの総寿命は962年でした。
  • エノク: エノクは65歳の時にメトセラをもうけ、その後300年間神と共に歩みました。エノクは365年生き、神に連れ去られました(彼は死を迎えませんでした)。
  • メトセラ: メトセラは187歳の時にラメクをもうけ、その後782年間生きて他の息子や娘をもうけました。メトセラの総寿命は969年でした(聖書で最も長く生きた人物)。
  • ラメク: ラメクは182歳の時にノアをもうけ、「この子は、主が呪われた地の労苦の中で私たちを慰めてくれるだろう」と言いました。ラメクの総寿命は777年でした。
人物 生誕年(アダムを0年とする) 各人物の寿命 備考
アダム 0年 930年
セト 130年 912年
エノシュ 235年 905年
ケナン 325年 910年
マハラルエル 395年 895年
ヤレド 460年 962年
エノク 622年 365年 神に連れ去られた
メトセラ 687年 969年
ラメク 874年 777年
ノア 1056年 950年 洪水が起こる前後に活動
人物 子を生んだ時の年齢
アダムがセトを生んだ時の年齢 130歳
セトがエノシュを生んだ時の年齢 105歳
エノシュがケナンを生んだ時の年齢 90歳
ケナンがマハラルエルを生んだ時の年齢 70歳
マハラルエルがヤレドを生んだ時の年齢 65歳
ヤレドがエノクを生んだ時の年齢 162歳
エノクがメトセラを生んだ時の年齢 65歳
メトセラがラメクを生んだ時の年齢 187歳
ラメクがノアを生んだ時の年齢 182歳

ノアの誕生(創世記5:28-32)

それではここからノアの時代へと移りましょう。

ノアと言えばノアの箱舟伝説で有名となりました。

つまり、この時代すでに地球では、かなり乱れたエネルギーが充満していたと言えます。

ノアの妻に関しては、聖書には明記されていません。

ただし、いくつかのユダヤ教の伝承や外典(非正典的な文書)では、彼女の名前が「ナアマ」や「エムザラ」とされています。

ノアの息子たちは非常に重要なポイントになってくるため把握しておく必要があります。

ノアは500歳になったとき、セム、ハム、ヤフェトをもうけました。

名前 概要 子孫
セム ノアの長男 セムの子孫は、後にイスラエル民族を含む多くの民族の祖先となります。
ハム ノアの次男 ハムの子孫は、カナン、エジプト、クシュ、プテなどの民族を含むとされています。
ヤフェト ノアの三男 ヤフェトの子孫は、ヨーロッパやアジアの多くの民族の祖先とされています。

ノアの箱舟の物語(創世記6:9-9:17)

ノアの箱舟に関しては関連記事がありますので、是非こちらもご覧ください。

ノアの箱舟の真実〜月の誕生

神は人々が悪に染まり、暴力に満ちているのを見て悲しみました。

「私は地上に人を造ったことを悔い、心を痛めた」と神は言いました。

神は、人間だけでなく、動物や鳥も含めてすべての生き物を地上から消し去ることを決意しました。

しかし、そんな中で一人の男、ノアは神の目にかなった人物でした。

彼は神と共に歩み、神に忠実に従いました。

ノアには三人の息子、セム、ハム、ヤフェトがいました。

神はノアに命じました。「私は地上のすべての生き物を滅ぼす決意をした。あなたはゴフェルの木で箱舟を造りなさい。箱舟の長さは300キュビト、幅は50キュビト、高さは30キュビトにしなさい。箱舟の内外をピッチで覆い、水が入らないようにしなさい」。

ノアは神の指示に従い、箱舟の建設を始めました。

ちなみにゴフェルの木という名称の木は今は存在していません。

それが何を指すのか?などもわかっていません。

ちなみに方舟のサイズですが、現在の一般的な乗用車のサイズと比較するとこのようなサイズ感になります。

神はさらにノアに指示しました。

「あなたはすべての生き物の中から、オスとメス一つがいずつを箱舟に連れて入り、彼らと共に生き延びなさい。さらに、あなたとあなたの家族も箱舟に入りなさい」。

ノアは神の命令をすべて守り、準備を進めました。

聖書にはクリーンな動物とクリーンではない動物という区分けがされています。

おそらく主な家畜や鳥類などが乗船しましたが、数百から数千種類の動物が乗船したと考えられます。

もちろん、正確な種類数を特定することは困難です。

洪水後

やがて洪水の時が来ました。

神が箱舟に入ることを命じてから7日後、地上に大雨が降り始めました。

40日40夜、雨は止むことなく降り続け、地上のすべての高い山々が水に覆われました。

すべての生き物が水に飲まれ、滅びました。

ただ、ノアと彼と共に箱舟にいた者たちだけが生き残ったという物語です。

鳩がオリーブの葉をくわえて戻ってきたとき、ノアは地が乾いたことを知りました。

ノアとその家族、そして動物たちは箱舟から降り立ち、新たな地での生活を始めました。

ノアは祭壇を築き、神に感謝の供え物を捧げました。

神はその供え物を喜び、「もう二度と洪水で地上のすべての生物を滅ぼすことはしない」と約束しました。

そして神は虹を空に置きました。

「これは私と地上のすべての生物との間に立てる永遠の契約のしるしである。虹が雲の中に現れるとき、私は私の契約を思い出し、洪水で地上のすべての生物を滅ぼすことはしない」と神は言いました。

虹は神と人類との間の永遠の約束を象徴するものとなりました。

ノアの箱舟の物語は、神の裁きと救い、そして新しい希望の象徴です。

バベルの塔の物語〜多言語の誕生

大洪水の後、ノアの子孫たちは増え広がり、地上に多くの民族が形成されました。

その当時、すべての人々は一つの言語を話していました。

一部のユダヤ教の伝承や神学者の間では、バベルの塔以前に話されていた共通言語が「アダム語」と呼ばれることがあります。この言語は、神がアダムとエバに与えた最初の言語と考えられています。

やがて彼らは東へ移動し、シナルの地、現在のメソポタミア地域にたどり着きました。

塔の建設

ここで人々は協力して大きな塔を建設する計画を立てました。

「さあ、レンガを作り、それをよく焼こう」と彼らは言いました。

こうして石の代わりにレンガを用い、アスファルトの代わりに瀝青を使用して建築を始めました。

彼らの目標は、「天に届く塔を建てて、我々の名をあげよう。そして、全地に散らされないようにしよう」というものでした。

人々の行動を見て、主は「彼らは一つの民であり、皆同じ言葉を話している。彼らがこのようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようとすることは何でもできるようになるだろう」と言いました。

神は人々の高慢さと団結の力を見て、彼らの計画を阻止することを決意しました。

ここで疑問に思うことが、なぜ神はなんでもできるようになろうとする人間の計画を阻止する必要があったのか?というところだと思います。

人々の技術が高まっていくことはいいことじゃないのでしょうか?

一つの解釈としては、神が「人々がなんでもできるようになること」を阻止した理由は、人間の高慢さと自己中心的な行動を防ぐためであり、社会の秩序と調和を保つためであると解釈されます。

神は人々を恐れたわけではなく、人間社会の健全な発展と多様性を促進するために介入しました。

「さあ、我々が降りて行き、そこで彼らの言葉を混乱させ、互いに理解できないようにしよう」と神は言いました。

主は人々の言葉を混乱させ、彼らは互いに理解できなくなりました。

その結果、人々は塔の建設を中止し、全地に散らされました。

その場所は「バベル」と呼ばれるようになりました。「バベル」は「混乱」を意味します。

バベルの塔の高さ

バベルの塔に関連する考古学的な証拠や歴史的資料はほとんどありませんが、一部の学者や歴史家は、古代メソポタミアのジッグラト(階段状の塔)と関連づけて考えています。

最も有名なジッグラトの一つは、バビロンのエテメンアンキ(Etemenanki)です。

このジッグラトは、「天と地の基礎を置く家」という意味を持ち、高さは約90メートル(300フィート)とされていますので、参考になるのではないでしょうか。

エテメンアンキの初期の建設は、バビロニアの前王朝時代、紀元前2千年紀の初め頃に遡る可能性がありますが、具体的な建設年は不明です。(ネブカドネザル2世(紀元前605年〜紀元前562年)の治世下ではこのジッグラトを再建または修復したとされています。)

バベルの塔はノアの洪水のあとの物語であり、推定ではありますが、聖書の系譜に基づいて紀元前2500年〜2000年頃に起こったと推測されています。

バベルの塔の物語は、人間の高慢さと神の権威に対する挑戦を象徴しています。

人々が自分たちの力で天に届こうとした行為は、神に対する不敬とみなされました。

言語の混乱は、神が人間の団結を制限し、地上に散らすことで、人間が再び同じ過ちを犯さないようにするための手段とされています。

ちなみにノアは、大洪水の後も長生きし、その影響力を持ち続けました。

聖書によれば、ノアは950歳まで生きました。

「ノアは洪水の後、さらに350年生きた。ノアの一生の年数は950年であった。そして彼は死んだ。」

聖書の記述(創世記9:28-29)

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