1985年1月28日。
アメリカン・ミュージック・アワードの直後、ロサンゼルスのA&Mレコーディング・スタジオに掲げられた張り紙のことを、皆さんはご存知でしょうか。
“Check Your Ego at the Door”(エゴは入り口に預けてこい)
クインシー・ジョーンズが指揮を執り、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダー、ボブ・ディラン……
当時の音楽シーンの頂点に立つ45人のスターたちが一堂に会した奇跡のプロジェクト、『We Are the World』。
今回は、昨年天国へと旅立った巨匠クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones、1933年3月14日 – 2024年11月3日)を偲びつつ、プロのエンジニアである私の視点から、「あの伝説の夜、彼らは具体的に何を使って音を残したのか?」というマニアック、かつロマンあふれる機材の話をしたいと思います。
あのミュージックビデオ(MV)に映り込むマイクやヘッドホン。
それらは単なる道具ではなく、歴史を刻んだ証人です。
この映像は、音楽史における重要資料であると同時に、エンジニア視点で見ると「1985年当時の最高峰のスタジオワーク」が克明に記録された教科書のような映像です。
機材の解説に加えて現代での代替品マイクの紹介や、このマイクの使い方や特徴、また業界のちょっとこぼれ話までマガジン購入してくださった方の限定コラムとしてお送りします。
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目次
- 伝説のスタジオ「A&M Recording Studios」
- 魂を受け止めた伝説のマイク:AKG C12
- なぜ C12 だったのか?
- “銀色の聖杯”と呼ばれたマイクの伝説
- 1. 世界初のリモート・コントロール革命
- 2. 心臓部「CK12カプセル」の魔術
- ジャズの歴史も刻んだ銀色の聖杯
- 【必聴】AKG C12の魔法がかかった名盤3選
- 悲運の兄弟機「Ela M 251」も・・・
- 合唱を捉えたマイク:Neumann U87 / U67
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伝説のスタジオ「A&M Recording Studios」
まず、場所の話から始めましょう。
舞台となったのは、ハリウッドのA&M Recording Studiosの「Studio A」です。
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ここは当時、世界最高のスタジオの一つと言われていました。
広いライブ・ルーム(演奏スペース)を持ち、オーケストラ録音も可能なほどの天井高を誇ります。スーパースター45人が「Uの字」型に並んで合唱できるキャパシティを持っていたのは、ここしかなかったと言っても過言ではありません。
チーフ・エンジニアは、名匠ウンベルト・ガティカ(Humberto Gatica)。
彼が直面したプレッシャーは想像を絶します。これだけのスターを集めて、機材トラブルは絶対に許されない。その緊張感の中で選ばれた機材たちを見ていきましょう。
魂を受け止めた伝説のマイク:AKG C12
MVの中で、スティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソン、そしてブルース・スプリングスティーンたちが代わる代わる歌い継ぐ、あのソロ・パート。
彼らの目の前にセットされていた細長いシルバーのマイク。
あれこそが、伝説の名機 AKG C12 です。
なぜ C12 だったのか?
C12は、1950年代にオーストリアのAKG社が開発した真空管コンデンサーマイクです。
現在、ヴィンテージ市場では数百万円で取引されることもある「聖杯」のようなマイクです。
このマイクの特徴は、その「シルキーで煌びやかな高域」と「圧倒的な抜けの良さ」にあります。
マイケルの繊細なブレス、シンディ・ローパーの突き抜けるようなハイトーン、ボブ・ディランの土着的なしゃがれ声。
声質の全く異なるシンガーたちが次々と入れ替わる状況で、EQ(イコライザー)をいじくり回さなくても、誰の声も埋もれさせず、かつ美しく録音できるマイク。
その信頼性において、C12は最適解だったのでしょう。
映像をよく見ると、ポップガード(吹かれ防止の網)が現代のような既製品ではなく、針金ハンガーにストッキングを被せたような手作り感満載のものであることも、当時のスタジオのリアルを感じさせて愛おしいポイントです。
“銀色の聖杯”と呼ばれたマイクの伝説
『We Are the World』の映像で、数々のスーパースターたちの前に屹立していた細長いシルバーの筐体。
これこそが、1953年にオーストリア・ウィーンで生まれた傑作、AKG C12です。
私たち録音エンジニアの間で、NeumannのU47が「王様」なら、AKG C12は「女王」や「聖杯」と称されます。
なぜこれほどまでに崇拝されるのか?
その秘密は、開発の裏側と、ジャズの歴史に隠されています。
1. 世界初のリモート・コントロール革命
1950年代初頭、当時のマイクの指向性(音を拾う範囲)を変えるには、マイク本体にあるスイッチをいじる必要がありました。
しかし、C12は革命を起こします。
「電源ユニット側のボックスで、指向性を9段階に変えられる」という魔法のような機能を搭載したのです。
これにより、エンジニアはコントロールルームに居ながらにして、
「もう少し部屋の響きを取り込もう(無指向へ)」
「歌だけをクッキリ狙おう(単一指向へ)」
といった調整が可能になりました。
『We Are the World』のような、次々とシンガーが入れ替わり、立ち位置も変わる過酷な現場でC12が採用されたのは、単に音が良いからだけでなく、この「現場対応力の高さ」が決め手だったのかもしれません。
2. 心臓部「CK12カプセル」の魔術
C12のサウンドを決定づけているのは、中に組み込まれた「CK12」という真鍮(ブラス)製のカプセルです。
これは、マイク史上最も複雑で、最も製造が難しいと言われる芸術品です。
熟練の職人が顕微鏡レベルの手作業で組み上げるこのカプセルは、現代の量産品とは比較にならないほどのコストと技術が注ぎ込まれていました。
その音は、「シルキー」という言葉だけでは表現しきれません。
高域がどこまでも伸びているのに、決して耳に痛くない。
空気の粒子まで捉えるようなその繊細さは、まさにウィーンの音楽的伝統が生んだ奇跡でした。
ジャズの歴史も刻んだ銀色の聖杯
さて、ここでマニアの間でよく囁かれる噂について触れましょう。
「あの伝説のジャズ・エンジニア、ルディ・ヴァン・ゲルダー(RVG)もC12を使っていたのか?」
ブルーノート・レコードの録音で知られるRVGといえば、Neumann U47のイメージが強烈です。
実際の写真資料の多くもU47が写っています。
しかし、RVGは極度の秘密主義で機材を見せたがらなかったため、「実はピアノやドラムのトップ(シンバル類)にC12を使っていたのではないか?」という噂は絶えません。
彼が機材マニアであったことを考えれば、C12を試していなかったはずがない、と考えるのが自然でしょう。
一方で、C12が間違いなく「主役」だったジャズの名盤があります。
それは、マイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』などを生み出した、コロンビア・レコードの30丁目スタジオです。
CBS 30th Street Studio – Wikipediaen.wikipedia.org
エンジニアのフレッド・プラウトは、C12を愛用していました。
ブルーノートの録音が、U47による「太く、ガツンとくる中低域(ハード・バップの音)」だとすれば、コロンビアの録音は、C12による「広がりがあり、透明感あふれる高域(モード・ジャズの知的な音)」です。
【必聴】AKG C12の魔法がかかった名盤3選
『We Are the World』で聴けるあの煌びやかさは、実はジャズの名盤たちによって磨かれた音でした。
特に「コロンビア・サウンド」と呼ばれる音響は、C12なくしては成立しませんでした。
1. Miles Davis『Kind of Blue』(1959)
- エンジニア: Fred Plaut (フレッド・プラウト)
- 聴きどころ:
ジャズ史上最高の名盤ですが、エンジニア視点では「世界で最も美しいルーム・アンビエンス(部屋鳴り)が録れた作品」の一つです。
マイルスたちの楽器の音だけでなく、彼らが演奏している**「教会の空気そのもの」**が記録されています。この透明感と、天井の高さを感じるようなエアリーな響きこそ、オフ気味に設置されたC12が捉えた音です。
特にビル・エヴァンスのピアノの、粒立ちが良いのに角が丸い、あの絶妙なトーンに注目してください。
2. The Dave Brubeck Quartet『Time Out』(1959)
- エンジニア: Fred Plaut (フレッド・プラウト)
- 聴きどころ:
名曲「Take Five」を再生してみてください。
冒頭のドラム・ソロ。ジョー・モレロが叩くシンバル(ライド・シンバル)の音色が、驚くほど**「シルキー」**です。
金属的な嫌な倍音がなく、「チーン」ではなく「シィーン」と絹のように伸びていく。これは、高域特性に優れたC12(CK12カプセル)をオーバーヘッドやアンビエンスに使わないと出せない音です。現代のデジタル録音でも再現が難しい、至高の高域です。
3. Tony Bennett『I Left My Heart in San Francisco』(1962)
- エンジニア: Frank Laico (フランク・ライコ)
- 聴きどころ:
『We Are the World』のようなボーカルの質感を確かめるならこの一枚。
エンジニアのフランク・ライコは、トニー・ベネットの声にAKG C12(またはC24というステレオ版C12)を愛用したことで知られています。
U47のような「太い男らしさ」とは一味違う、「艶やかで、少し引いた位置から優しく包み込むような」ボーカル・サウンド。
ポップス・バラードにおけるC12の正しい使い方がここにあります。
これらのアルバムで「C12の音」を耳に馴染ませてから、改めて『We Are the World』を聴いてみると面白いかもしれませんね。
マイケルやスティーヴィーの声の中に、マイルスやトニー・ベネットと同じ「銀色の聖杯」の響きが見つかるはずです。
悲運の兄弟機「Ela M 251」も・・・
C12には、もう一つの伝説があります。
ドイツのTelefunken社がNeumannからのOEM供給を打ち切られた際、AKGに「C12を元に新しいマイクを作ってくれ」と依頼して生まれたのが、これまた伝説の「Ela M 251」です。
中身はC12と同じCK12カプセルと真空管(6072)を使っていますが、回路の違いにより、C12の方がより「オープンで原音に忠実」、251の方が「太く色気がある」と評されます。
現代のポップス界でも、アデルやケイティ・ペリーなど、ここぞというバラードでは必ずと言っていいほど、このC12の系譜(C12またはEla M 251)が使われます。
1985年のあの夜、クインシー・ジョーンズとウンベルト・ガティカがC12を選んだことは、音楽的にも、技術的にも、そして歴史的にも、これ以上ない「正解」だったのです。
合唱を捉えたマイク:Neumann U87 / U67
さて、話を『We Are the World』に戻しますね。
ソロ・パート以外の、全員で歌う「コーラス・パート」。
ここでは、広いスタジオの空気を丸ごと収録するために、複数のマイクが立てられていました。
映像や当時の資料から推測するに、業界標準機である Neumann(ノイマン) U87(あるいは真空管のU67)が複数本、アンビエンス(空間の響き)を拾うために高い位置にセットされていたと思われます。
「We are the world, we are the children…」というあの重厚なコーラスワークは、個々の口元を狙うのではなく、スタジオAという「空間の響き」そのものを贅沢に収録することで生まれたサウンドなのです。
スターたちの耳元:AKG K240 Sextett / Monitor
マイクと同じくらい印象的なのが、参加アーティストたちが装着しているヘッドホンです。
大きなイヤーパッドに、金色の縁取りと穴の空いたデザイン。
これは AKG K240 シリーズ(おそらくK240 Sextett、もしくは当時のK240 Monitor)です。
AKG K240が採用された理由
これもまた、スタジオ・スタンダードです。
K240は「セミオープン型」という構造をしており、完全に密閉されていません。
そのため、自分の生声とヘッドホンからの伴奏が自然に混ざって聞こえ、ピッチ(音程)が取りやすいという利点があります。
長時間のセッションでも耳が疲れにくい装着感も、あの過酷な徹夜レコーディングには不可欠だったはずです。
ダイアナ・ロスやレイ・チャールズがこのヘッドホンを抑えながら歌う姿は、あまりにも象徴的でした。
録音の心臓部:Studer A800 & Custom Console
コントロールルームの中の話も少しだけ。
当時のA&Mスタジオの心臓部には、特注のコンソール(調整卓)が鎮座していましたが、音を記録していたテープレコーダーは、間違いなく Studer(スチューダー) A800 でしょう。
24トラックのアナログ・テープ・レコーダーです。
デジタルのPro Toolsが当たり前の現代とは違い、テープは「巻き戻すのに時間がかかる」「失敗したら上書きされる」というリスクがあります。
アナログテープレコーダーに関しては、オーディオアカデミーでも特に重視して解説コンテンツを作成しています。
ウェブサイトの方に勉強しにきてください。
Revox ~ オープンリールテープ – オーディオアカデミー録音時間計算ツール テープ長さ(ft): 600 ft1…academy.kotarohattori.com
Revoxと、Studerはほぼ同じ会社。
いずれもStuder氏が立ち上げました。
あの夜、テープが回る音とともに、エンジニアのウンベルト・ガティカは「絶対に失敗できない」という針の穴を通すような作業を続けていました。
あの温かみのあるサウンドは、アナログテープの磁気飽和(サチュレーション)がもたらした魔法でもあります。
We Are the World 登場人物・タイムライン
映像の進行に合わせて、主要なソロ・シンガーと、その瞬間の「エンジニア的注目ポイント」をまとめました。
ぜひMVを再生しながら、このリストを目で追ってみてください。
共通使用機材:
- Mic: AKG C12(ヴィンテージ真空管マイク+自作ハンガー・ポップガード)
- HP: AKG K240 Sextett / Monitor(セミオープン型ヘッドホン)
0:26|Lionel Richie (ライオネル・リッチー)
🎤 AKG C12 / 🎧 AKG K240
冒頭からC12の特徴である、ふくよかで温かみのある中低域が確認できます。まさに楽曲の土台となる安心感のあるサウンドです。
0:33|Stevie Wonder (スティーヴィー・ワンダー)
🎤 AKG C12 / 🎧 AKG K240
彼はヘッドホンを両耳にしっかり装着しています。マイクとの距離感が常に一定で、さすがの職人芸を感じさせます。
0:43|Paul Simon (ポール・サイモン)
🎤 AKG C12 / 🎧 AKG K240
ヘッドホンのサイズ感がよくわかります。彼の繊細な声を拾うため、ゲイン(入力レベル)は少し高めに設定されているかもしれません。
0:47|Kenny Rogers (ケニー・ロジャース)
🎤 AKG C12
ポール・サイモンの時よりもマイクの位置が高くセッティングされているのが見て取れます。
0:59|James Ingram (ジェームス・イングラム)
🎤 AKG C12
隣でケニー・ロジャースがコーラスをつけている貴重なショット。
1:09|Tina Turner (ティナ・ターナー)
🎤 AKG C12
彼女のハスキーな倍音成分(ザラッとした声の成分)を、C12のシルキーな高域特性が見事に捉えています。
1:14|Billy Joel (ビリー・ジョエル)
🎤 AKG C12 / 🎧 AKG K240
ヘッドホンをしてモニターに集中しています。ここで、マイクのポップガードが「ストッキングの網目」であることがはっきりと視認できます。
1:23|Michael Jackson (マイケル・ジャクソン)
🎤 AKG C12
伝説的なシーン。マイクとの距離はオン気味(近め)です。彼はK240を耳にはつけず、首にかけてモニターしています。自分の生声を優先しているのでしょう。
1:32|Diana Ross (ダイアナ・ロス)
🎤 AKG C12 / 🎧 AKG K240
マイクを挟んでマイケルと対面する形。AKG K240の「穴の空いた金色のデザイン」がよく見えるアングルです。
1:49|Dionne Warwick (ディオンヌ・ワーウィック)
🎤 AKG C12 / 🎧 AKG K240
ウィスパー気味の繊細なニュアンスも、真空管マイクならではのレスポンスで逃さず収録されています。
1:55|Willie Nelson (ウィリー・ネルソン)
🎤 AKG C12 / 🎧 AKG K240
独特な鼻にかかったカントリー・ボイスを、C12がクリアに捉えています。
2:09|Al Jarreau (アル・ジャロウ)
🎤 AKG C12 / 🎧 AKG K240
前のカットからマイクの高さが再調整されています。エンジニアアシスタントの苦労が偲ばれます。
2:14|Bruce Springsteen (ブルース・スプリングスティーン)
🎤 AKG C12
マイクに対して少し下から煽るように歌っています。距離がかなり近く、近接効果(低域が膨らむ現象)を活かした、太くロックなサウンドになっています。
2:22|Kenny Loggins (ケニー・ロギンス)
🎤 AKG C12
ポップガードの「針金ハンガー」部分のねじり方がアップで確認できます。完全なDIYです。
2:29|Steve Perry (スティーヴ・ペリー)
🎤 AKG C12 / 🎧 AKG K240
伸びやかなハイトーン。張り上げても音が割れず、かつ痛くならない高域の歪みのなさはC12の名機たる所以です。
2:36|Daryl Hall (ダリル・ホール)
🎤 AKG C12 / 🎧 AKG K240
ヘッドホンの位置を少しずらし(片耳外し)、自分の生声とヘッドホンの音を混ぜて聴いています。ピッチをとるための基本的なテクニックです。
2:48|Huey Lewis (ヒューイ・ルイス)
🎤 AKG C12
シンディ・ローパーの横でパワフルに歌唱。
2:54|Cyndi Lauper (シンディ・ローパー)
🎤 AKG C12 / 🎧 AKG K240
有名な「アクセサリーのジャラジャラ音が入ってしまった」シーンですが、このテイクでの声の抜けの良さは抜群です。コンプレッサー(音量抑制)がかなり深くかかっていると思われます。
3:02|Kim Carnes (キム・カーンズ)
🎤 AKG C12 / 🎧 AKG K240
ハスキーボイスの極み。マイクがそのザラつきを「ノイズ」ではなく「音楽的な響き」として捉えています。
3:10|Chorus Part (全体合唱)
🎤 Neumann U87 (想定)
引きの映像。頭上の高い位置にマイクスタンドが立てられ、スタジオ全体の響き(アンビエンス)ごと収録している様子が見えます。
3:48|Bob Dylan (ボブ・ディラン)
🎤 AKG C12 / 🎧 AKG K240
ディラン独特の歌い回し。マイクとの距離や顔の角度を探りながら、不安げに、しかし誠実に歌っている様子がリアルです。
4:42|Ray Charles (レイ・チャールズ)
🎤 AKG C12 / 🎧 AKG K240
ヘッドホンを片耳だけ当て、身体全体を揺らしてリズムを取りながらソウルフルに歌い上げています。マイクの前で動いても音が極端に変わらないのは、部屋の響きが良い証拠でもあります。
おまけ!!!!!!!!!!!!!
なぜ、ポップガードがストッキングなの?
映像を見て「予算があるはずなのになぜ?」と思った方もいるかもしれません。
実はこれ、当時のエンジニアたちのこだわりの一つです。
市販の厚いスポンジや何重にもなった布のポップガードは、「吹かれ(ポップノイズ)」は防げても、C12のような高級マイクが持つ「きらびやかな超高域(ハイエンド)」を少し削ってしまうことがあります。
「音質を一切劣化させたくない、でもノイズは防ぎたい」
そのギリギリの回答が、音の透過性が高いストッキングを使った自作ガードだったのです。
この映像は、そのDIY精神の証明でもあります。
録音現場では常にDIYが付きまといます。
クラシックの録音だってDIYだらけなのをご存知でしょうか?
巨大なグランドピアノの反響や残響、じつは大きなうちわでゆっくり仰いで残響の余韻をコントロールしたりする現場もあるんですよ。
録音エンジニアとして最高の音を残すなら常にDIYと工夫をイメージしておきましょう。
C12の正統なる継承者とは?
さて、ここまで『We Are the World』のサウンドを支えた伝説のマイク、AKG C12についてお話ししてきました。
読者の中には「そんなに良い音なら、今すぐC12を使ってみたいな〜」と思った方もいるかもしれません。
しかし、オリジナルのC12は数十前に生産が完了しており、ヴィンテージ市場では数百万〜一千万円近い価格がつくこともあります。
では、現代の技術で新品は手に入らないのでしょうか?
ここで、少し業界の「裏話」をしなければなりません。
そしてそこには、ある新しいメーカーの物語があります。
C12を生んだAKG社は、オーストリアのウィーンに拠点を置く名門でした。しかし、親会社の買収や経営方針の転換により、2017年、AKGのウィーン本社工場と開発拠点は閉鎖されてしまいます。
これは私たちエンジニアにとって、ウィーンの伝統的な音響技術が途絶えることを意味する、衝撃的なニュースでした。
しかし、物語はそこで終わりませんでした。
AKGを解雇された熟練のエンジニア、マネージャーたちが「ウィーンの音を絶やしてはならない」と結集し、新たな会社を立ち上げたのです。
それが、Austrian Audio(オーストリアン・オーディオ)です。
C12のサウンドの核心は、「CK12」と呼ばれる真鍮(ブラス)製のカプセル(音を拾う心臓部)にあります。
実は、オリジナルのC12に関する特許の多くは、年月の経過により既に期限が切れています。
そのため、世界中のブティック・メーカーが「C12のコピーモデル」を作ること自体は法的に可能です。
しかし、CK12カプセルは製造が極めて難しく、職人の手作業による微細な調整が不可欠でした。
図面(特許)があっても、「当時の音を作るノウハウ」がなければ再現できないのです。
そこで、元AKGの精鋭たちが集まったオーストリアン・オーディオは、単なる懐古趣味のコピーを作ることを選びませんでした。
彼らはC12の魂を継承しつつ、現代の技術で「特許」となるような新しい発明をしたのです。
それが、「CKR12」セラミック・カプセルです。
かつて真鍮で作られていた複雑なパーツを、温度変化や湿気に強いセラミック素材で再設計しました。
これにより、「C12が持っていたあの煌びやかな高域特性」を、個体差なく、かつ故障しにくい現代的なスペックで完全に再現することに成功したのです。
現代の『We Are the World』を録るならこのマイク
もし私が今、令和版の『We Are the World』を録音することになり、「当時のC12の代わりに現代の新品を用意してくれ」と言われたら、迷わずこのマイクを選びます。
Austrian Audio OC818
これが、C12の正統なる血統を受け継ぐ現代のフラッグシップ機です。
見た目こそモダンですが、中に入っているカプセルは、あの日マイケルやスティーヴィーの声を拾ったCK12の設計思想を、当時のエンジニアたちが最新技術で磨き上げたものです。
価格もヴィンテージの10分の1以下。
しかし、そのサウンドには間違いなく「ウィーンの魔法」が宿っています。
最後に
『We Are the World』の映像を見返すとき、ぜひマイクにも注目してみてください。
あの銀色の筒の前で、アーティストたちはエゴを捨て、ただ一つの歌のために声を合わせました。
そして今、その「音」への情熱は、会社の看板が変わっても、技術者たちの魂によって現代に受け継がれています。
音楽を作る人、聴く人、そしてそれを技術で支える人。
それぞれの想いが繋がって、伝説はこれからも続いていくのでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この記事を書いた人:朝比奈 幸太郎
音大卒業後ピアニストとして活動後、渡独。
帰国後タイムマシンレコード・五島昭彦氏に師事し、究極のアナログ録音「金田式DC録音」の技術を継承。
Revox等のヴィンテージ機材のレストア技術を持ち、マイク、アンプ、スピーカーに至るまでシステムを根底から自作・設計する録音エンジニア。
物理特性と芸術性が融合する「本物の音」を追求・発信している。