【音の瞬発力】「スルーレート」が低いと、音楽は鈍(なま)る〜「電圧の速度」と「キレ」の正体

「スネアの音が、なんかヌルい」
「シンバルの輝きが、本物と違う気がする」
マイクも立て方も完璧なのに、なぜか録音された音に「キレ」がない。

その犯人は、あなたが使っているマイクプリアンプやオペアンプの「足の遅さ」かもしれません。

今日は、オーディオ機器のスペック表の片隅に書かれている、しかし音の命運を握る重要な数値「スルーレート(Slew Rate)」について解説していきましょう。

これは「音の速さ」の話。
0秒からトップスピードまで、あなたの機材は何秒で加速できるか?
すべての謎は、この
「電圧の変化速度」で説明がつきます。

スルーレートとは何か?:車の「0-100km/h加速」と同じ

オーディオ信号とは、電気の波(電圧の変化)ですよね。
スピーカーが前に出るには、電圧が一気に「0V」から「10V」へ上がらなければいけません。

スルーレート(Slew Rate)とは、入力された信号に対して、アンプ(出力電圧)が「どれだけの速さで追従できるか」を表す性能指標となります。
車で例えてみましょう。

  • アクセルをベタ踏みする(入力信号): 「今すぐ時速100km出せ!」という命令。
  • 車の加速性能(スルーレート): 実際に100km/hに達するまでのタイム。

スポーツカー(スルーレートが高い)は、踏んだ瞬間に背中がシートに張り付く。

このラインより上のエリアが無料で表示されます。

重いトラック(スルーレートが低い)は、踏んでも「ブォォォ」と唸るだけで、ゆっくりとしか加速しない。
オーディオも同じなんです。
ドラムのリムショットのような「瞬間的な爆音」が入ってきた時、アンプがそれに追いつけるか?
その能力値がスルーレートというわけです。


単位「V/μs」の意味:100万分の1秒に何ボルト動けるか

スペック表にはこう書かれている。
SR = 20V/μs
これは「1マイクロ秒(100万分の1秒)の間に、電圧を20ボルト変化させることができる」という意味です。

  • 汎用オペアンプ(4558など): 1〜2 V/μs 程度
    • かなり遅い。急激な立ち上がりの音には追いつけない。
  • オーディオ用高級オペアンプ(MUSEなど): 20〜50 V/μs
    • 十分速い。ハイレゾ音源にも対応できる。
  • 金田式DCアンプ / ハイスピードディスクリート: 100〜数百 V/μs
    • 異次元の速さ。 入力された信号の形を、寸分違わずトレースする。

音質への影響:「トランジェント」が死ぬとき

では、スルーレートの違いは聴感上どう現れるのか?
それは「トランジェント(過渡特性)」に直結します。
【スルーレートが高い音】

  • 特徴: 音の立ち上がりが鋭い。
  • 聴こえ方:
    • スネアが「パン!」と弾ける。
    • アコースティックギターのピッキングが「カリッ」と鮮明。
    • シンバルの余韻が濁らず、空気に溶けるように消える。
    • 「冷たい」「痛い」と感じることもある(リアルすぎるため)。

【スルーレートが低い音】

  • 特徴: 音の角が取れて丸くなる。
  • 聴こえ方:
    • スネアが「ポン」と太くなる。
    • 全体的に膜がかったような、柔らかい音。
    • 「温かい」「アナログ的」と感じることもある(ヴィンテージ感)。

以前解説した「トランス」は、物理的な構造上、このスルーレートをあえて「遅く」する作用があるわけです。

https://note.com/embed/notes/n14275221df16

だから音が太く、まろやかになるんですね。

技術的真実:スルーレート不足が引き起こす「SID(歪み)」

「スルーレートが足りないと、ただ音が丸くなるだけなんでしょうか?」
いいえ、実はもっと悪いことが起こるんです。

「波形が壊れる」。
高音(高周波)で、かつ大音量の信号が入ってきた時、アンプの追従速度が限界を超えると、滑らかな「サイン波」を描けなくなるわけです。

波形は、坂道を転げ落ちるように直線的な「三角波」になり、これを「SID(Slew Induced Distortion / スルーレート起因歪み)」と呼びます。

これは音楽的な倍音(ハーモニクス)ではなく、耳障りで不快な歪みになります。

「高域がなんとなく汚い」「シンバルがジャリジャリする」原因の多くは、このスルーレート不足によるSID。

だから、プロ用機材はある程度高いスルーレートを確保し、この歪みを回避しているわけです。

高ければ偉いのか? 「金田式の速さ」vs「Neveの遅さ」

では、スルーレートは高ければ高いほど良いのか?
「速すぎると、耳に痛いし、音楽的な色気がなくなる」と感じる人もいます。
トランスや真空管を使い、あえてスルーレートを適度に抑える(鈍らせる)こともありえます。

その「遅れ」が、低音の「粘り」や、高音の「シルキーさ(滑らかさ)」を生む。
これが「音楽的な心地よさ」につながるわけです。

  • ドキュメンタリー(事実)を撮りたいなら、高スルーレート(トランスレスなど)。
  • 映画(演出)を撮りたいなら、適度なスルーレート(トランス/ヴィンテージ)。

スルーレートのコントロール?

レベル1:【機材選び】「カメ」と「ウサギ」を使い分ける

—— エンジニアにとっての王道のコントロール法
これが現場での最も現実的なコントロールです。
スルーレートを変えるスイッチはないので、「スルーレートの違う機材」に差し替えることでコントロールします。

  • スルーレートを「上げたい」時(速くしたい):
    • アクション: トランスレス機材、ソリッドステート。
    • 機材例: DPAのマイク、Millennia、SSLのコンソール、Avalon Design。
    • 狙い: シンバル、アコギ、パーカッションの「点」が見えるような解像度が欲しい時。
  • スルーレートを「下げたい」時(遅くしたい):
    • アクション: トランス入り機材、真空管(チューブ)機材、ヴィンテージ機材を使う。
    • 機材例: Neve 1073(トランス)、Tube-Tech(真空管)、リボンマイク。
    • 狙い: デジタルの痛い高音を丸めたい、バラードのボーカルを太く馴染ませたい時。

「鈍らせる(下げる)」ことは簡単ですが、一度鈍った音を「速くする(上げる)」ことは物理的に不可能です。
だから、迷ったら「速い機材(高スルーレート)」で録っておくのが、現代のセオリーです。

レベル2:【回路設計】電流の蛇口を開けろ

—— 金田式などの「作る側」の視点
もしあなたが金田式アンプを自作したり、カスタマイズする場合、スルーレートはどうやって決まるのか?
物理的には以下の2点で決まります。
1. アイドリング電流を増やす(これが最強)
アンプの心臓部(差動回路や出力段)に流す電流を増やせば増やすほど、スルーレートは上がります。

  • イメージ: 細いホース(少電流)より、太いホース(大電流)の方が、バケツ(コンデンサー)を一瞬で満タンにできる。
  • 金田式: 電池を大量に使って、常識外れの電流をドバドバ流すから、スルーレートが爆速になるのです。

2. 位相補償コンデンサーを外す
普通のアンプは、発振(暴走)しないように、わざと反応速度を遅くする「ブレーキ(位相補償)」をかけています。
金田式などのハイスピードアンプは、設計を完璧にすることで、このブレーキを極限まで減らす、あるいは取り外します。
これでリミッター解除されたF1マシンのような速度が出ます。

レベル3:【デジタルの裏技】トランジェント・シェイパー

—— 録音した後に「擬似的」にコントロールする
「録音しちゃったけど、もっとスルーレートが高い感じにしたい!」
あるいは「ちょっと痛すぎるから鈍らせたい!」
そんな時に使うのが、DAW上のプラグイン「トランジェント・シェイパー(Transient Shaper)」です。
(例:SPL Transient Designer, Native Instruments Transient Masterなど)
これは厳密には電圧速度(V/μs)を変えているわけではありませんが、聴感上の効果はほぼ同じです。

  • Attack(アタック)を上げる:
    音の立ち上がりを強調する。擬似的に「スルーレートが高かった時の音」に近づける。
    (ペチッとしたドラムを、バチーン!にする)
  • Attack(アタック)を下げる:
    音の立ち上がりを削る。擬似的に「スルーレートが低かった時の音」にする。
    (痛いシンバルを、柔らかく奥に引っ込める)

結論

スルーレートをコントロールする方法は、

  1. 録音前: 「鉄(トランス)」を入れるか、「直結(DC)」にするか、機材を選んで決める。
  2. 設計時: 電流をドカ食いさせてスピードを稼ぐ(金田式の思想)。
  3. 録音後: トランジェント・シェイパーで「アタック感」を擬似的にいじる。

まとめ:適材適所で「速度」を選べ

スルーレートとは、「音の瞬発力」の数値化です。
あなたが録ろうとしているのは何か?

  • 一瞬の破裂音(ドラム、パーカッション)なら、「速い機材」を選べ。
  • ゆったりしたバラードのボーカルなら、「遅い機材」が合うかもしれない。

プロの録音エンジニアは音のキャラクターを決めるためにいろいろ考えて機材選びをしているわけですね。

おまけ:スルーレートの割り出し

実際には計算式がありますが、ちょっと音響学とは逸れるかな?というわけで割愛しますが、参考までに、スルーレートの考え方についてまとめていきます。

DPA 4006TL のスルーレートは非公表・・・だが

—— 「非公開」だが、構造から推測する

残念ながら、DPAを含むほとんどのマイクメーカーは、スルーレートを公表していません。
マイクの場合、電気回路よりも「膜(ダイヤフラム)の重さ」の方が支配的だからです。
しかし、回路構成から推測が可能です。

  • 推測値: おそらく 20〜50 V/
    1. μμs クラス
  • 根拠:
    • TL(トランスレス): 出力段にトランスがないため、磁気によるブレーキがかかりません。
    • アクティブ駆動: 4006の内部には高度なディスクリート回路や高品質オペアンプが入っています。
    • インパルス応答(過渡特性): DPAが公開している「インパルス応答」のグラフを見ると、パルス波に対してほぼ垂直に立ち上がっています。これは回路のスルーレートが極めて高い証拠です。

数値は不明ですが、物理的な膜(空気)の限界スピードに対し、電気回路がボトルネックになることはないレベルで「超高速」というわけです。

Sound Devices 302(トランス) のスルーレートは非公表だが?

—— 「トランス」が速度制限をかける

Sound Devices社も、アンプ単体のスルーレートは公表していません。
しかし、こちらは使用パーツからかなり正確に絞り込めます。

  • 推測値(内部回路):10〜20 V/
    1. μμs 程度(搭載オペアンプの性能)
  • 推測値(トランス通過後):数 V/
    1. μμs 〜 10 V/μμs 程度(周波数による)

根拠:

  1. Lundahlトランス(LL1585など):
    SD302の入り口には、最高級のルンダール製トランスが入っています。
    トランスは物理的に「コイル」なので、急激な電圧変化に対して「逆起電力(抵抗)」が発生します。つまり、どんなに後ろのアンプが速くても、入り口のトランスが「スピードリミッター」として働きます。
  2. 省電力設計:
    SD302はフィールドミキサー(電池駆動)です。
    スルーレートを上げるには「大量の電流」が必要。しかし、電池持ちを良くするために、そこまで無茶な電流は流せません。

SD302のスルーレートは、現代のハイレゾ機材に比べれば「決して速くはない」です。
しかし、その
「トランスによる適度な鈍り(リミッター効果)」こそが、

  • 耳に痛い高音を和らげる。
  • 音が細くならず、太くまとまる。
    という、あの「SDサウンド」の正体なのです。

数値が見つからないことにイライラする必要はありません。
むしろ、構造から「速度をイメージする」ことが重要です。

  • DPA 4006TL:
    トランスレス × 高速回路 = フェラーリ(超高速・高解像度)
    • 計算上の余裕:ありまくり。
  • Sound Devices 302:
    トランス × 省電力設計 = 高級クラシックカー(重厚・味わい)
    • 計算上の余裕:あえて持たせず、乗り心地(聴き心地)を優先。

「スルーレートが高い=良い音」ではありません。
「撮りたい映像(音)に合わせて、シャッタースピード(スルーレート)を選ぶ」
この感覚を掴んでください。

(※もしどうしても正確な数値を知りたければ、オシロスコープを買って「矩形波」を入力し、波形の傾きを自分で測るしかありません。それができるようになったら、あなたはもうエンジニアを超えて「研究者」です)