全樹脂電池(APB)とは?仕組み・メリットから開発の裏側、実用化の現在地まで徹底網羅

電池の歴史を変える「全樹脂」という革命

我々レコーディングエンジニアにとって、「電源」は音の源流です。
クリーンで力強いDC(直流)電源を求め、鉛蓄電池やリチウムイオン電池をスタジオに持ち込むケースも増えてきました。

そんな中、電池業界で「革命」とも呼べる技術が注目を集めています。
それが「全樹脂電池(All Polymer Battery = APB)」です。

従来のリチウムイオン電池の常識を覆し、「電極も集電体もすべて樹脂(プラスチック)で作る」というこの技術。

この記事では、なぜこれが革命なのか、その仕組みから開発の背景、そして我々の生活や音響システムにどう関わってくるのかを、世界一詳しく解説します。

全樹脂電池(APB)とは何か?一言でいうと

全樹脂電池(APB)とは、その名の通り「電池を構成する部材を、金属から樹脂(高分子ポリマー)に置き換えたリチウムイオン電池の一種」です。

通常のリチウムイオン電池(LIB)は、電気を通すために大量の「金属(銅箔やアルミ箔)」を使います。

しかし、全樹脂電池はこれを導電性樹脂に置き換えています。

  • 従来: 金属の集電体 + 液体電解質
  • APB: 樹脂の集電体 + ジェル状の電解質

「プラスチックで電気が流れるのか?」と思われるかもしれませんが、特殊なカーボンなどを混ぜることで電気を通す樹脂を使用しています。

これにより、「燃えない」「形が自由」「製造が簡単」という、夢のような特性を手に入れました。

従来のリチウムイオン電池と何が違うのか?

全樹脂電池を理解するには、「バイポーラ構造」というキーワードを避けて通れません。

1. バイポーラ構造(双極型)の採用

従来のリチウムイオン電池は、正極と負極を別々に作り、それをクルクルと巻いたり(円筒型)、何層にも重ねてタブで繋いだりする複雑な構造をしていました。

一方、全樹脂電池が採用する「バイポーラ構造」は、1枚の集電体の「表が正極、裏が負極」になっています。
これをただ積み木のように上に重ねていくだけ
で、直列接続された高電圧な電池が出来上がります。

  • 従来: 複雑な配線と外部接続が必要
  • APB: 重ねるだけで電池パックになる(内部で直列接続完了)

2. 「金属」を捨て「樹脂」にした理由

金属製の集電体を使う従来の電池では、バイポーラ構造を作るのが困難でした。

金属だと、もし電池の層の一部でショート(短絡)が起きると、電気が一気にそこに集中し、大電流が流れて爆発する危険があったからです。

しかし、樹脂には適度な「抵抗」があります。
ここがポイントです。

もし内部でショートしても、樹脂自体の抵抗が電流の暴走を抑えます。

つまり、「物理的に爆発しようがない素材」で作られているのです。

全樹脂電池の3つの圧倒的メリットとは?

なぜ世界中がこの電池に注目するのか。
メリットは大きく3つあります。

1. 異常なまでの「安全性」(釘を刺しても燃えない)

最大の特徴です。

従来のリチウムイオン電池は、衝撃や貫通により「熱暴走(発火・爆発)」するリスクがありました。
全樹脂電池は、釘を刺しても、ドリルで穴を開けても、切断しても発火しません。

これは、ビル火災が許されない定置用電源(家庭用蓄電池やスタジオ用電源)として最強の特性です。

2. 自由な形状と大容量化(厚塗り電極)

金属を使わないため、形状の自由度が高いです。
また、従来の電池は電極を厚く塗ると割れたり性能が落ちたりしましたが、樹脂は柔軟性があるため、電極を分厚く塗ることができます。

これは、「電池の中身のほとんどを電気を蓄える物質(活物質)にできる」ことを意味し、同じ大きさならより多くのエネルギーを詰め込めます。

3. 製造コストとプロセスの簡略化

従来の電池工場は、乾燥工程や金属加工など、巨大で高価な設備が必要でした。
全樹脂電池は、構造がシンプル(重ねるだけ)で、かつ部材も少ないため、将来的には「製造コストを大幅に下げられる(従来の半値以下を目指せる)」ポテンシャルを持っています。

開発の経緯とキーマン:堀江英明氏と三洋化成

この技術は、ある一人の天才エンジニアの執念から生まれました。
APB株式会社の設立者、堀江英明氏です。

彼は日産自動車で電気自動車「リーフ」の電池開発を主導した、電池業界のレジェンドです。

日産時代からの悲願

堀江氏は日産時代から「バイポーラ型」の優位性に気づいていましたが、金属素材では安全性の確保が難しく、実用化できませんでした。

「金属がダメなら樹脂を使えばいい」。

そのアイデアを実現するために必要だったのが、高性能な界面活性剤や樹脂技術を持つ三洋化成工業(京都の化学メーカー)でした。
両者の技術が融合し、2018年にAPB株式会社が設立。

「全樹脂電池」という言葉が世界に知れ渡りました。

【課題】夢の電池が直面している「壁」とは?

ここまで読むと「完璧な電池」に思えますが、私たちはエンジニアとして現実(デメリット)も直視しなければなりません。
2025年時点で、いくつかの壁があります。

1. 樹脂ゆえの「抵抗」問題

樹脂は金属よりも電気を通しにくいです。
これは安全性には寄与しますが、「瞬発力(ハイパワー)」が出しにくいという弱点になります。
急加速が必要なスポーツEVなどには不向きで、じわじわ電気を使う「定置用」や「低速モビリティ」向けとされています。

2. 量産化へのハードル

これが最大の壁です。
2023年末、三洋化成工業はAPB株式会社との資本業務提携を解消するというニュースが流れました。
理由は「品質の安定化やコストダウンなど、量産化のハードルが予想以上に高かったため」と推測されます。

実験室レベルで作れても、工場で何万個も安定して安く作る技術は、また別の次元の話なのです。

しかし、技術自体が消えたわけではありません。
APB社は独自に、あるいは新たなパートナーと共に開発を継続しており、福井県などでの工場稼働を目指しています。

オーディオ・音響機器における全樹脂電池の可能性

最後に、音楽家視点での考察をまとめます。

オーディオ用電源として考えた場合、全樹脂電池の可能性は注目に値します。

  1. ノイズレス: インバーターを介さずとも、直列積層で必要な高電圧(例えば±15Vや48Vなど)を直接作り出せる可能性があります。
  2. 安全性: レコーディングスタジオやライブハウスなど、閉鎖空間に大量のバッテリーを置く場合、「絶対に燃えない」という安心感は何にも代えがたいものです。
  3. 瞬発力不足は問題ない: オーディオ機器は、EVのように数秒で数千アンペアを流すような使い方はしません。むしろ安定放電が得意な全樹脂電池は、プリアンプやDACの電源として非常に相性が良いと言えます。

まとめ:全樹脂電池は未来のスタンダードになるか

全樹脂電池(APB)とは、「安全性・エネルギー密度・コスト」の3つを同時に解決しようとする、日本発の野心的な技術です。

  • 仕組み: 金属を樹脂に置き換え、バイポーラ構造で積層。
  • メリット: 究極の安全性(燃えない)。
  • 現在地: 量産化技術の確立という高い壁に挑んでいる最中。

EVのメインバッテリーになるにはまだ時間がかかるかもしれません。

しかし、「家の蓄電池」や我々のような「プロオーディオの電源」としては、ゲームチェンジャーになる可能性を秘めています。