ラプラスの悪魔と絶対神:科学と信仰の交差点

ラプラスの悪魔とは、すごく頭のいい存在のこと。

フランスの科学者ラプラスが考えたのですが、この悪魔は、宇宙のすべての粒(原子)の動きと位置を知っていて、それがどう動くかも完璧に計算できるとされています。

たとえば、ピンポン球を投げたらどこに行くかを計算できるように、この悪魔は、未来も過去もすべて予測できるというのです。

ですが、現代の科学では、粒子の動きが完全には予測できないことがわかっているため、この考えには限界があり、つまり、旧来型の絶対神の否定に繋がっているわけです。

ただし、神様は存在しています。

神様の存在意義という視点が変わったのが、量子力学的視点であり、神様の存在については、しっかり後述しますので、ぜひ最後までみていってくださいね。

ラプラスの悪魔〜例え話

もし、あなたが公園で遊んでいて、風がどのくらい吹いていて、ボールがどのくらい重くて、投げる力がどれくらいかを完璧に知っていたら、ボールがどこに飛んでいくかを100%正確に予測できるでしょう。

でも、実際には風の強さが変わったり、投げる手が少しぶれたりして、正確に予測するのは難しいですよね?

ラプラスの悪魔は、そんなすべての要素を完璧に知っているという存在のことです。

現実では、量子力学カオス理論という考え方によって、未来を完全に予測することはできないということがわかってきました。

だから、ラプラスの悪魔の考えは、今では「夢のような理論」として語られています。

ラプラスの悪魔とは

ラプラスの悪魔は、全知の存在であり、宇宙のすべての情報(物体の位置、速度など)を知っていれば、未来も過去も完璧に予測できるという考えに基づいています。

これは、18世紀の決定論的な宇宙観に根ざしています。すべてが物理法則に従って動くため、十分な情報があれば未来を正確に計算できるという前提です。

絶対神とは

一方で、絶対神は多くの宗教において、全知全能であり、世界のすべてを創造し、管理する存在とされています。

キリスト教やイスラム教の神などが代表的な例で、彼らは時間や物理法則を超越した存在です。

人間の自由意志や運命も、神の計画に含まれているとされることが多いです。

両者の共通点と違い

共通点としては、ラプラスの悪魔も絶対神も、宇宙のすべてを知り尽くし、未来を予測・理解できる全知の存在として描かれます。

また、両者ともに、宇宙の運命が予め決められているか、自由意志が存在するかという問いを投げかけます。

違いは、ラプラスの悪魔は純粋に物理法則と決定論に基づいて未来を計算する存在であり、超自然的な力を持ちません。

絶対神は、宗教的な思想、発想のため、物理法則を超えた力や意志を持ち、未来を知るだけでなく、それを変えたり創造したりする力も持つとされます。

また、神はしばしば人間の行動に道徳的な判断を下す存在でもありますが、ラプラスの悪魔にはそのような判断基準はありません。

このことからも、この世界には創造神、つまり神様は存在することになります。

それはなぜか?

次に見ていきましょう。

ラプラスの悪魔の否定と絶対神の肯定

ここまで見ると、ラプラスの悪魔は量子力学的に否定でき、絶対神は量子力学的に肯定できることがわかると思います。

神の計画とは、量子力学的に見れば、観測者により結果が変わるわけですから、観測者である、わたしが絶対神であるという考え方が論理的に整合性がありますよね?

円形画像
リベットの実験画像

これには、量子力学的な視点から見ると興味深い論理的整合性が存在します。

量子力学では、観測者が結果に影響を与える「観測問題」があります。

たとえば、シュレーディンガーの猫のように、観測される前に状態が確定していないという現象です。

この観点から、もし観測者によって量子的な結果が左右されるのであれば、観測する自分自身が宇宙の結果を決めている=絶対神だという発想は、論理的にはある程度説明がつきます。

ただし、この考え方は、物理学と哲学や神学の解釈が混ざったものであり、全ての科学者や哲学者がこの見方に賛同するわけではありません。

現代の視点

現代の物理学、特に量子力学カオス理論がラプラスの悪魔の考えを覆しています。粒子の動きが確率的であり、カオス理論では予測不可能な要素が多いため、完全な未来予測は不可能です。絶対神の概念は、これらの科学的発見にもかかわらず、信仰の中で依然として強く残っています。

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