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当サイトのブログでは、ここまでキリスト教の誕生における重要なエピソードをまとめてきました。
ここでキリスト教誕生のための5つのピースをまとめておきましょう。
・ユダヤ教からの分派である
・イエスが起こした数々の奇跡
・ユダの裏切り
・パウロの伝道
・民衆の印象操作
またここからはまた研究中ではありますが、エッセネ派というユダヤの中でもまた特異な宗派があり、密教的な扱いを受けていた団体があったと言う点も史実として認識する必要があります。
これはクムラン洞窟で発見された死海文書というもので一部が史実として明らかになっています。
実はこのエッセネ派という密教的派閥集団ではイエスが説いた愛の教えを実践しながら共同生活を贈っている集団であり、病気の治し方一つとってもイエスが起こしたような奇跡のような現象を起こす研究や智慧を持っていたとも言われています。
この辺りについては、詳しくはこちらのドロレスキャノンさんの退行催眠が詳しいです。
ユダの裏切り
5つのピースをみていると、ユダの裏切りがピースになる?
というのはいまいちよくわからない方もいるかもしれません。
しかし、ユダの裏切りこそが結果的にキリスト教誕生の鍵となるわけです。
処刑がなく、指名手配されたままイエスがキリスト教を開祖したとなれば今のような道にはなっていなかったでしょう。
事実、キリスト教が一気に広がるきっかけとなったがパウロの伝道にあるわけです。
パウロが描いたマーケティングフレーズ
パウロがローマ人たちに伝道したストーリーは次のようなものでした。
「神は天地万物を創造し、人間はエデンの園で楽しく暮らしていたが、神の教えを守らず、禁断の知恵の実を食べてしまって、原罪を背負ってしまった。イエスは全人類に代わって贖罪し、十字架にかかって刑死した後に復活した。
イエスこそが全人類の救世主メシア(キリスト)である。」
このマーケティングだと、ユダヤ人はもちろんイエスに感謝しますし、ユダヤ人以外でもイエスのことをまさにメシアだと感じることでしょう。
つまり奇跡を起こせるイエスがわざわざ十字架にかかったのは、全人類に代わって罪を受け入れたからだというもの。
これは確かに強烈です。
奇しくもユダの裏切りがあったからこその処刑と、復活劇と強烈なマーケティングコピーであると言えます。
もちろんイエスがわざわざ十字架を受け入れたのは、鍵泥棒のメソッド説である可能性は拭い切れないのであります。
演出家だったイエスキリスト
当然ではありますが、当時民衆を味方に付け、あれだけの弟子たちを味方につけたイエスですから、めっちゃくちゃ頭がいいわけであります。
まさに宇宙人レベルのIQを持っていたことでしょう。
実際にイエスは、エルサレムに戻る際などに、救世主として語られていたシーンを再現しようと、わざわざロバを用意していたり、演出にかけては用意周到に準備する傾向があります。
ここで紹介したい人物というのがダレンブラウンという人物です。
ダレンブラウン
1971年2月27日生まれ、イギリス人メンタリストであり、「 メンタル・マジックを専門とするマジシャンです。
別名、「心を操る悪魔」 「心の魔術師」 などとも呼ばれています。
「心理学」や「催眠」などを取り入れたパフォーマンスを得意としており、いくつかのTVシリーズで独自の路線を見せている。
さて、そんなダレンブラウンですが、彼のパフォーマンスをイギリス系の放送で見たことがあります。
大きなホールで後半はなんと「今から私は新興宗教を作ります。私は救世主でありイエスです」とまで言ったかどうかは覚えてないですが、今から宗教を作りますというパフォーマンスだったと思います。
これはもちろんマジックですから、タネはわかりません、しかし、ランダムで選ばれた人の体の不調部分を当て、見事手かざしで本当に治してしまうと言うパフォーマンスをはじめ、普通の思考回路で見ているとまさに奇跡としか思えないパフォーマンスが起こり始めるわけです。
彼の書籍
この本の中には、IQ、つまり抽象度の高低差による神への信仰がどのように発生するか、詳しく仕組みが書かれたいたと思います。
鳩を例にしていました。
お腹が空いた鳩は、羽を広げて奇妙な行動を取るようになるわけですが、これを祈りに例えています。
実際は人間が規定した時間感覚(10、15、30)などなど、IQのテストのような規則で餌が排出される装置だそうですが、これを続けていると、鳩はまるで羽を広げた奇妙な行動の結果、餌が排出されると錯覚を起こすそうなんですね。
これが儀式や祈りであるという説を唱えておられます。
「バカにすんなよ」と思うかもしれませんが、人類はまだ素数の謎さえ誰も解けていないんです。
あの数の連続の法則を俯瞰して見れるIQを人類は持っていないんですね。
神の領域からすると、素数などシンプルで簡単なルールなのかもしれませんよ・・・
もちろんこれはメンタリズムの一つの仕組みを説明したわけであり、宗教そのものを紐解いているわけではありません。
ただ、ダレンブラウンさんは人を欺く、そして心理の隙を付くのはかなりのプロフェッショナル。
本当にその辺の手品とは別次元の奇術をを目の当たりにすると、この人は本当に手かざしで病気が治るのだろうかと思ってしまうわけです。
つまり、メンタリズムと演出を組み合わせれば、イエスが起こした奇跡はある程度再現可能であるという見方もできます。
ただし、個人的にはイエスはもっと量子物理的な理由、つまり信仰によって奇跡が起こったものであると考えています。
キリスト教の作り方
ここでリアリズムとスピリチュアリズムの2種類にわけて考察していきましょう。
まずはリアリズム的な視点。
リアリズム視点
エッセネ派という特殊な派閥で神秘主義などを学びながら育ったイエス(これは史実かどうか調べていきたいと思います)。
幼い頃からIQの高さを自覚していたイエスは暴力と権力に腐敗していたユダヤ教を刷新したいと考える。
ストーリーにより分派できるはずであると考えたイエスは、メンタリズムを駆使し奇跡を演出、また同時にユダヤ教の教えをしっかりと学んでいたため、救世主の預言通りの演出を行い、より高い信憑性を演出した。
より深い神格化のためには教祖である自身は死ぬべきであると考え、その後のストーリーもパウロとともに画策する。
という見方。
もちろん、ユダヤ教の敬虔な信者ですから、父、つまり神に対する信仰心に関してはリアリズム視点でも嘘偽りはないでしょう。
ただし、その仕組みに関しては、ある種量子物理的視点があったものであると考えられます。
スピリチュアル視点
聖母マリアが妊娠したのは宇宙人がアブダクションしたという説が霊能力者の霊視では見えている人がいるそうです。
宇宙人だったイエス(もちろん神は同じ)、使者として地球へ愛の教えを届けにやってきました。
思いの外地球では暴力と支配によるエネルギーに満ちており、思うように行きませんでした。
ただただ、「人を愛してください」「宇宙でもっとも美しく高次元のエネルギーは愛であります」と伝えに来ただけなのに、うまくいかずに処刑されてしまった。
十二使徒をはじめとしてパウロなど愛の教えに目覚めた弟子たちが、「なんとかこの宇宙の美しくもシンプルな法則を伝えていかなければいけない」と全世界に伝道することになった。
イエスの人間らしさ
イエスは神の子(わたしたちもです)であり、救世主であると宣言して、愛の教えを説いて回りましたが、ペテロをはじめとして愛の教えそのものに深く感銘を受けて弟子になった者はほとんどいませんでした。
パウロもイエスが復活して目の前に現れなければイエス信奉者にはならなかったでしょうし、みんな目の前で奇跡を目の当たりにして驚愕し、「あなたについていきます」といったものたちがほとんどでした。
また、当時は男女の区別がかなりはっきりしていたユダヤ教文化の中。
当然弟子は男性しか取れません。
ユダヤ教の教えでは、女性というのは男性の付録である(男性の肋骨を取り出して女性を作った)という認識が強く、同じ立場に立てる者ではありませんでした。
そんな中でイエスはマグダラ(地名)のマリアという娼婦を常に自分の側に置いていました。
後にこのマリアは処刑の際にも聖母マリアと共にイエスをお看取りしていますし、復活したイエスと初めて対面することにもなるわけです。l
ここでもやはり「女性のいうことなど信じられるか」と十二使徒たちは信じようとはしませんでしたし、このマグダラのマリアとユダの不仲説は有名であったわけです。
ユダヤ教への想い、救世主への想いが熱かったユダの怒りにも似た嫉妬というかなんというか複雑な想いはテキスト化するのは難しくても、手に取るようにわかりますよね。
もちろん他にも女性の付き人は何人かいました。
聖書には「悪霊を追い出して病気を癒していただいた何人かの婦人たち、すなわち七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」(ルカによる福音書8章2~3節)とあります。
マグダラのマリアはこれらの女性たちの中でもやはり特別な存在だったことは確かでしょう。
実は最後の晩餐でもマグダラのマリアはイエスに寄りかかっているとされており、「イエスが愛した弟子」というのはこのマリアであるという説が濃厚です。
Now there was leaning on Jesus’ bosom one of his disciples, whom Jesus loved. (John 13:23, King James version)
さて、イエスの懐には一人の弟子が寄りかかっていた。イエスはこの弟子を愛されていた。
引用:Wikipedia
こういう実に人間らしいところをしっかりと押さえておくと、イエスの人物像、そしてキリスト教が誕生していく経緯をリアリズムとスピリチュアリズムを俯瞰した中道で垣間見ていくことができるのではないか?と思うわけであります。
イエスの師匠:革命家ヨハネの洗礼
イエスはヨハネとともに行動しています。
世界を変えたいヨハネ。
ヨハネもまた救世主の到来を待ち構えていました。
しかし、やはり一般的なユダヤ人同様に、火を扱う戦力を持ったメシア像を持っていました。
時系列でいけば、イエスとヨハネの関係は真っ先にシェアしておくべき重要なイベントだったかもしれません。
そして福音書でもやはりキリスト教誕生の背景として、イエスとヨハネの出会いは最重要項目という認識で間違いないでしょう。
しかし、筆者はあえて最後にイエスの人間らしさというところで、ヨハネとの関わりをつなげることで、よりイエスという人物像の輪郭が浮き彫りになるのではないか?と思うわけであります。
ヨハネという洗礼を授ける存在がイエスに洗礼を授けます。
福音書によって描写は異なりますが、このときはじめてイエスは「神とつながった」といわれているわけです。
ここからイエスは一気に霊能力を開花させます。
砂漠を彷徨い40日の断食を行いますが、そこへ悪魔サタンがイエスを三度誘惑するのです。
・石をパンに変えてみろよ
・ここから飛び降りてみろよ
・俺を拝め!世界をお前にくれてやる
というわけです。
飛び降りてみれば神が天使の羽で救ってくれるはずだろ?と誘惑するわけです。
イエスは我にかえり「神を試すようなことはするべきではない」と思い返すわけです。
その後ヨハネは時の権力者によって処刑されますが、ヨハネの弟子の繋がりでイエスのその後の弟子たちのコミュニティーは形成されていくという流れもあるわけです。
人間らしさ・・・という意味では、このように先駆者がいた、師匠がいた。
というのは非常に重要です。
みなさんはどのように感じますか?
是非このファンタジックな地球史の大きな転換点に思いを馳せようではありませんか。
マトリックスのネオとイエス
スピリチュアルな視点で世界をみるときに頻繁に語られるのが映画マトリックス。
20世紀に作られたものですが、今も根強いファンから支えられています。
このマトリックスは、様々な解釈ができるため、ストーリーそのものには触れないでおきますが、実はイエスとの共通点を見出すことができます。
マトリックスの主人公であるネオという存在もまた、イエスと同様救世主であると言われた男であるわけです。
ネオが救世主になった方法
ただしネオは自分が救世主であると確信を持てないでいるわけです。
預言者と会って話をした時に明言していましたね。
預言者オラクルからの「自身が救世主であるか?」という問いに対してネオは「自分は違う」と答えています。
オラクルの返答は「今はそうかもね」でした、続けて「来世かもね。そういうものなの」と語っています。
ネオは自分が救世主であると知ったとき(信じるよりもさらに超越した確信)救世主になったわけです。
それは、周囲の人間も同様なのです。
イエスもどうでしょうか?
十二使徒でイエスを救世主であると疑ったのはユダくらいのものでしょうか。
イエスは自身を救世主であると知っていました。
知っているからこそ本物の救世主になれたというわけなんですね。
心の哲学のようにも見えますが、この知っているというのは、非常に量子物理的なお話になるわけです。
イエスとエッセネ派〜その他の関連記事
最後にエッセネ派について触れておかないわけにはいきません。
先ほど登場した洗礼者ヨハネ。
実はヨハネが行っていた水に潜るスタイルの洗礼はエッセネ派の儀式だったとする説があるわけです。
エッセネ派の存在についてはそう簡単に語れる内容ではないため、一つ記事を用意したいと思っています。
これに加えて東方3賢人の存在も別記事で紹介したく思っています。